東京ノート再演 私の稽古日記

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平田オリザの代表作「東京ノート」は、1994年に青年団第27回公演として初演され、1998年に同第34回公演として、名古屋市をはじめ全国各地で上演されました。これはその再演時の私の稽古日記です。公演自体は1998年4月以降も続きましたが、ここには同年3月の東京公演終了までの日記を掲載しました。

1997年1998年
11月12月1月3月
1998年2月は、稽古なし

1998年 1月


1月4日(日)

きょうから11時開始になった。稽古開始一時間前に到着してウォーキングなどをしたいと思うが、きょうは少し遅くなり、10時30分過ぎ着だった。雨だったので、室内で身体をほぐした。
前回の続きから。私の稽古は、ラストシーンをやって、その後アタマから、トイレに行くところまで終わった。
ラストシーンは通しで何がいけなかったのか、と演出に聞いたがよくわからなかった。力が入っちゃった、ということらしいが。
「みんな、遅いですね」と言われて「仕事いそがしいんでしょ、みんな」と言うところが、「いい人過ぎる」と言われた。「謝りすぎ」「いい人すぎ」「切りすぎ」というように、演出によって絞り込まれていくのがわかる。面白い。


1月5日(月)

けさも、一時間前着果たせず。
病欠の人がいたので、関連シーンを抜かし抜かし稽古した。
カメラで、新しい問題が発生。続けて2枚撮るとき、2枚目でストロボ充電が間に合わなくなった。新しい電池に交換したら間に合うようになったので、あきらかに電池消耗の問題だ。演出が2枚めをとるタイミングを少し後にずらしたが、消耗電池ではそれでも間に合わなくなった。いままでほぼ一ヶ月使用してきてこの程度なので、名古屋、スズナリの本番前にそれぞれ新しい電池にかえる、ということで大丈夫だろうということになった。
電動歯ブラシのとこで、「手で動かせばいいでしょ」→「手で動かして磨けばいいでしょ」と台詞が変わった。。まちがえて「手で持って」と言って、そりゃ、電動だって手動だって、持つのは手で持つ、と演出に言われた。あそこのシーンはお父さんがドラマチックで、私は好きなんだけど、いつかダメが出るかな、と少し不安。でも、不安がってやってると面白くなくなってそれこそダメが出るから、楽しんでやっている。


1月6日(火)

川沿いをジョギングした。スタジオを出て、スタジオに戻るまでちょうど20分。膝が心配なので、地面が土(変な言い方)のところだけジョギングして、コンクリートのとこは速歩。
昨日に引き続き病欠の人があって、私は稽古がなく、しかも稽古終了時よりも前に「もう帰っていいよ」と言われた(その日もう自分の稽古がない人は、演出に言って、帰ってもいいことになっている)。東京ノートは私は出番が多いので、こんなふうに人よりはやく帰れるなんてめったにない。


1月7日(水)

病人、復活。その人のいるシーンを一通りやった。
昨日の続きで、ラストもやった。「まだ、サンテグジュペリから絵の話のとこで力が入る」と言われ、次には力を抜きすぎて「さらっと言っちゃダメなんだ」と言われた。意識のチェックポイントを、サンテグジュペリの話のアタマ、「だからわかんないでしょう」のところ、絵のことについてのしゃべり出し、の3カ所に置いてやったらいいみたいだった。
家に帰って、台本を音読した。字を見ながら口でも言う、というのは、なかなかいい。アタマの中でのシミュレーションは電車の中なんかでよくやるが、台本音読も一日一回くらいはやったほうがいい。
きょうも20分ジョギングをしたが、膝のほうはいまのところ大丈夫のようだ。


1月8日(木)

見学者あり。オーストラリアで日本語を教えている日本人女性。
稽古は、幕前から一場。


1月9日(金)

きのう雪が降って、きょうはつもっていたので、スタジオ内を15分ほどジョギングした。
11時から午後1時くらいまで稽古。「いたよいたよ」以降の家族のところ。
その後、1時40分開場で通し。最初の出からうまくいかなかった。痰が絡んだり、なんだか稽古の時と間がちがったりで、あせった。出番に備えてスタンバイする人たちのばたばたした靴音などにもいらいらした。もうちょっと共演者に気配りしてくれてもいいじゃないか!という気持ち。
だけど、そういうのが気になるのは自分の集中がうまくいってないからで、こっちがちゃんと集中できていればそんなことは気に障らないで余裕をもっていられる。だから結局は自分のせいってことになる。アラベスク(山岸涼子作)のノンナ・ペトロワのように、パ・ド・ドゥの相手の手にさえ頼らないで、舞台の上で自立しなくちゃなぁ。
結局、一場も三場も変な感じのまま過ぎてしまった。ラストは、まぁ稽古通りできたと思う。
ダメ出しは、「でも、ここの絵とかも戦争終わったら...」の前にもう少し間を入れる、歯ブラシのところが全体に急ぎすぎた、祐二が戻ってきてからが変だった(「いいわよ、そんな話聞かなくて」がまじめすぎ、オセロゲームと「大変なことになりますよね」が変)と言われた。最後のやつは、相手役が台詞を間違えたせいもあるので、そのことは演出にも言っておいた。
みんな全体的に緊張気味だったが、全体として順調、とのこと。


1月10日(土)

稽古が休み。名古屋公演の前の休みは、きょうと18日だけ。
パーマがだいぶ落ちちゃったので、美容院に行った。


1月11日(日)

稽古開始10分前に到着。いつもは30分前には行っているのだが。そうしたら、きょうに限って見学者があった。舞芸の人が5人、山の手事情社の人、2人。やっぱ毎日アップはちゃんとやっとくべきだ。反省した。


1月12日(月)

また雪が降った。スタジオ内を15分ジョギング。
演出家の到着が1時半ころになった。その前に少し寝ちゃったので、アップをしなおした。
稽古は、私は、ラスト、幕前から1.1.2、そして一場の最後橋爪寺西とすれ違うところ。
ラストは、通すとどうしても情緒的になる、見るほうもそういう傾向があるけれども、と演出。
あと、相手役の俳優からも、間のことでリクエストがあった。「なんか、私も涙出てきそう」の前で私があまり間をとらないほうがやりやすいらしい。私も、自分のために間をとっていたふしがある。直すことにした。


1月13日(火)

ラストその他。ラストは、力が入らないようにしたせいでダラっとしてしまった、と言われた。


1月14日(水)

通し稽古で、1カ所完全に台詞を忘れてしまった。「好恵さんってヒェックションってくしゃみすんのね」というところ。相手役と二人でしばらく黙ってにこにこしていた。もう全然わからなくて、あ、演出が台本を開いた、と思ったとこで相手役が台詞を教えてくれて、それで続けられた。だけど、このアクシデントでも妙に固くなることなく、きょうは割とうまく行った、と思っていたら、ダメ出しで、「全体的に、きょうは、あまりよくなかった。3回めで、ざらついている」と言われた。役者が、目的意識なしにやってしまっているのではないか、とも。それは少なくとも私についていえば大当たりだ、と思った。前回の通しで直前に台本を全部見て緊張してしまったので、きょうは流れに任せる、というつもりで臨んだのである。ハードルは、1つずつ越えていかなきゃダメだよねぇ。また反省。
私個人のことでは、「一場のアタマからぎこちなかった、人と会話していないみたいで、台詞も速かった」と言われたが、まったく自覚がなかった。さっきも書いたが、きょうはうまく行っていると思っていた。周りのざわざわも気にならないし、余裕を持ってできたと思ってた。おそらく、コマが回って澄んでいる状態だと思っていたのがただ止まってただけだった、というヤツだったんだろう。


1月15日(木)

大雪のため、稽古が休みになった。


1月16日(金)

幕前と一場をやった。戦争やオランダ人の話のとこが全部同じ言い方でつまらない、と言われた。
三場の弁当の話をするシーンで「語りすぎ」と言われた。「マチコのこと好きな人はいいけど、そうじゃない人はいやになっちゃう」と。つまり、一人で勝手にしゃべってる、ってことだと思う。平田オリザという演出家は、ダメ出しが感情的でないし説明がわかりやすい。いつもそこに感心する。
こないだの通しでのラストもきょうの三場も、共通して言えるのは、自分がやりやすいようにするために何かをやっちゃダメだ、ってことだと思う。


1月17日(土)

パイロットのカップルのシーンでの目線が、だいたい定着してきた。好恵の写真を撮る→ニコニコする→カメラをしまう→ニコニコする→パンフをとる→パンフをヘコヘコする→右上→「参加したい」で左に振り向く→階段→ベンチ下→右上――と書いても、自分以外にはきっとなんだかわからないだろうなぁ。
4時30分通し開始。相手の話をよく聞こう、というのを念頭に置いてやった。いいのか悪いのかさっぱりわからなかったが、前回いいと思ったら大間違いだったんだから、そのときと状態がちがうことだけは確かだから、けっこうよかったかも、なんて思った。こんなんで俳優としてやっていけるのか?
通しが終わってミーティングが始まる頃になって、なんだかどっと疲れが出た。身体に力が入っていたのか、アタマがすごく働いたか。アタマだったらいいんだけど、と思った。
ダメ出しは、「一緒に見ようよ」の前後で力が入った、「いろいろってお弁当作るときもあんの」の前に間を入れない、「だって、せっかくみんなで久しぶりに会ったんだからさ、もっと別の話しようよ」の前に間を入れない、この台詞自体ももっと短く、ということであった。よかったとかダメだったとかという話はなかった。


1月19日(月)

夕方、旅公演のためのミーティングの前に、通し稽古。見ていたスタッフや若手が感想を言った。演出から私へのダメ出しはなかった。アタマのとこがちょっと速すぎた気がする。


1月20日(火)

姉妹喧嘩のとこで、「だって私が悪くないって言ってるんだから、それってなんか変だと思うけどな」が感情の動きがわかりすぎておもしろくないと言われて直した。笑ってるようなおこっているような。あと、「(そういうのが)ダメなのよ」と言われた後の「だって...」をもっと怒って、と言われた。ちょっと確かに強さが足りなかったな。
きょうも通し。ダメ出しはあしたの予定。


1月21日(水)

あす名古屋へ出発なので、自分の大きな荷物を宅配便で送った。
12時集合で、小道具とか衣装の荷造りをまずみんなでやった。1時すぎから一時間だけ稽古。数人でスタジオ内で雑談していたら演出家がいきなり「『え、どうして』っていうとこさぁ」とダメ出しを始めたので、だれかが「みんな呼んできましょうか」と言ったけど、演出は「いや、いい」と言って、1つずつ、ダメ出ししては稽古、というふうに進めていった。私には特になかった。
2時から荷造り、積み込みをして、3時半頃終了。男性陣は装置の積み込みに向かった。


1月22日(木)

午前9時劇場着。搬入開始。夕方6時頃仕込み終了。
その後、場当たりを、家族が食事に行くところまでやった。「なんでも食べるのよ、兄弟のまんなかは」を、「手」なしでさらりとやるように言われた。
夜、手羽先の店に行った。手羽先、手羽元がたいへんにおいしかった。


1月23日(金)

装置の作業の続きをやったあと、10時半から場当たり再開。11時半ころ終了(「スープがさめちゃうよ」の直前まで)。12時半からカーテンコールの練習、それが終わり次第ゲネプロを始める、ということになった。カーテンコールは、暗転なしで明るい中をはけることになった。
6時本番。きょうから3日間は、観客は高校生。開演してまず驚いたのは、客席がほとんど制服で真っ黒だったことだ。そして、好恵サンの顔を見ると、目のあたりがひきつっている。大丈夫かなぁ、と思いながら、自分のほうは割と落ち着いてできたと思う。


1月24日(土)

きょうの公演は1時と5時。きのうと違って、客席は大部分が私服だった。このほうが落ち着く。


1月25日(日)

私たちの公演会場と同じ建物に大ホールもある。きょうはそこでバレエの発表会があるようで、朝、入り口ホールが頭をおだんごにした子供で埋め尽くされていて大変な騒ぎだった。
きょうの開演は11時。午前中から公演をするなんて、初めてだ。なんとか身体と声を起こそうと、まず少し発声してから客席通路を20分ほどジョギング。その後普通の発声をして、まだ足りないかもしれないので歌も歌った。本番は、声も身体も、大丈夫だった。
もう一度、3時に本番があって、5時にはもう全部終わってしまった。


1月26日(月)

公演が7時なので、4時集合だった。朝、10時ころ起きてゆっくり食事して、ごろごろしてから11時半頃ホテルを出た。丸善で本を見た。ルーマー・ゴッデンの人形の家がペーパーバックであったので、ところどころ読んでみた。りんごちゃんのふとんは「つぎはぎ細工」と書いてあった。パッチワークだな、きっと。昼食後、2時半頃劇場入り。きのうのアンケートを見て、3時ころからアップ。4時ミーティング。稽古。
大人の観客は、高校生と全然ちがった。自分でチケット代を払って見に来るかどうかでちがうのかと思ったが、「親の面倒をだれが見るか」という話は高校生には実感わかない、ということなんだろうな、ホントは。


1月27日(火)

2時半劇場入り。きょうも20分ジョギングをした。膝に負担がかかるのはわかっているのだが、走ると気持ちがいいのでつい走ってしまう。
終演後バラシ。11時半から打ち上げ。


1月28日(水)

午後帰宅。しばらく留守にしていたため冷えたコンクリートが寒くて寒くて、オイルヒーターだけでは間に合わなくてエアコンもつけた。


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