つれづれなる日々

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2005年4月の日々

春のよそおい


04/30/2005(土)

久しぶりに「もうすぐ本番が始まるというのに舞台に行き着けない」夢を見る。衣裳に着替えたいのだが、着替える場所がないのである。狭い更衣室を他の人に譲り、あぁそうだ、あの銭湯で着替えようと行ってみても洗い場はあれど脱衣所がない。換気のダクトのような狭い通路を通り抜けて気がついてみたら、ソックス以外の衣裳を全部なくしていた。さすがにそのときは、あまりの展開に、夢の中で笑った。

『その河をこえて、五月』の稽古を見学に行く。通訳の方で、1993年の青年団のソウル公演『ソウル市民』を見ましたという人がいた(ご自身も、何年か前にソウルの大学で『ソウル市民』の演出をしたそうだ)。「私、出てました」「どの役ですか?」「印刷屋の、奥さん」と言うと、
「あー、あの、こうやってお茶を飲む、」
と私の演技のマネをして(客間に1人でいるときに、さっきまでいた宗一郎の分のお茶をぐいーっと飲むシーンがあった)、「あれは、あなたでしたか!」。10年以上も前の1つのシーンのことを覚えていてくださる人がいるなんて、そしてその人に出会えるなんて。嬉しかったです。

夜は、『笑うタンパク質』(作・演出:井上こころ)を見る。手法的には、80年代にもうそれは見たよ、という部分も多かったんだけど、いまここで自分の力で世界を切り取ろうとしている作者がいて、それがこういう形になっているのだ、ということにたいへん必然性と説得力を感じた。


04/29/2005(金)

私の出ているシーン(1幕4場)の稽古は5時からの予定だったので、ゆっくり出掛ける。昼過ぎの街が、なんだか浮かれているような気がして、あぁそうか、きょうからゴールデンウィークで連休か、と気づく。ファミレスで台本を読もうと思ったのに、満席だ。

きょうの稽古は、1幕2場から順にやっていて、4時頃に私が稽古場に行くと、1幕3場の稽古中だった。女性2人のシーンで、「相手と関係を作ろうとしないでください」と言われたり、「それではただしゃべっているだけだ」と言われたりしている。なかなかむずかしそうだ。予定より1時間ほど遅れて1幕4場の稽古に入る。他の人が台詞を言っているのを聞いているときには、もっとこうしたらいいんじゃないかなどと冷静そうなことを考えていたけれど、いざ自分の番となると、あせって早口になったりしてしまった。

稽古終了後、「きのう渡した予定は、忘れてください」とのことで、演出家と演出助手がミーティングして来週の予定を立て直していた。もうちょっと余裕のあるスケジュールにするとのこと。「フランス人に振り回されている」という感じがなく、「一日一日稽古を進めながら、稽古の進め方自体をも模索しているんだなぁ」と思えるのは、稽古をきちんとみんなで共有できているからなんだろうと思う。


04/28/2005(木)

稽古に行ったら、明日以降1週間の予定が渡された。あれ?きのう言ってた課題のことがなにも書いてない……。あっさり変更になった模様。なんだか、きのうの部分稽古である程度見通しが立ってきて、それでもういいということになったらしい。

きょうは、おとといの続きで、ラストまで台本を読む。演出家が、「これはいま気づいたんだけど、テゼー登場の前までとその後で、モノローグというものの意味合いがまったくちがっている」というようなことを言うので、あぁ、この人もこの稽古場で、新しいことを発見しながらこの作品を作っていっているんだなーと、なんだかちょっと嬉しくなった。

関係ないけど、数日前に見た『タイタニック』で楽団が演奏していた曲(賛美歌?)が、頭から離れない。


04/27/2005(水)

きょうは、私は稽古が休み。きのう、「金曜日に、各自に自分の台詞を、夢のような、美しい言葉として読んで発表してもらいたい」という課題が出たので、きょうはそのことをあれこれと考える。


04/26/2005(火)

『フェードル』は、きょうも台本を読んでは、質疑応答。二幕のアタマから、テゼー登場の前まで。

全員で台本を読んで、意味を確認したり演出家の説明を聞いたりするという、こういう稽古の進め方は、私はこれまでほとんど経験がないんだけれど、基本的に言葉が好きで、重箱の隅をつつくような細かいことを突き詰めるのが好きなので、なかなかおもしろく参加している。いままでの人生ではそういう方面に行きすぎて「しつこい」とか「他人の揚げ足をとるな」とか叱られる場合も多かったので、今回、叱られないどころかときには「いい質問だ」と誉められたりして、嬉しくなったりもしている。

どんな話をしているのかというと、たとえば、「王位を譲る、ということを言うときに『王笏を渡す』と言う人と『王冠を渡す』と言う人が出てくるけど、王位の象徴として、この2つには意味の違いがあるのか」という問いかけから、「王笏を手渡すより、王冠をかぶせるときのほうが、2人の間の距離が近くなる」とか「韻文だから、字数を調整するために使い分けたのかも」とか、いろいろな人がいろいろな思いつきや意見を言って、結局どうなのかという正解を知るのももちろん大切なんだろうけど、ほんのちょっとした疑問点でもみんなで考えてみるということ自体も、大切な過程なように思う。ワークショップを一緒にやるときと同じで、「あぁ、この人はこういうことを考えているのか」とか「自分にはこういうこだわりがあるんだな」とか、そういうことがわかってくるのが興味深い。

『フェードル』の稽古は、毎日2時から7時だ。稽古が終わった頃、ちょうどご飯を食べたい時間なので、きのうもきょうも、だれかとご飯を食べて帰った。


04/25/2005(月)

『フェードル』稽古初日。台本を、最初から少しずつ読み、わからないところがあれば演出家に質問し、また逆に演出家のほうからも、日本語の場合これはどうなっているのかといった質問や、物語の背景となる事柄についての説明が出て、結局5時間、そうやって、みっちり、なにかの授業を受けているような稽古をした。お互い、何をわかっていて、何はわかっていないのか――というのをすりあわせていく過程は、おもしろい。たとえばフランソワ(演出家)は、日本語には男性名詞、女性名詞という区別がない、というのを知らなかったそうで、きょうそれを知って驚いていた。


04/24/2005(日)

再度、撮影。前回撮った2シーンを、すべて撮り直す。追加もあり。初期のシナリオから何度か改訂があったけれど、やっぱり最終稿が一番すっきりして、大事なことだけ残っている感じがした。私が翻訳した『子どものための劇作レッスン』という本に、リライトの過程にその作家を理解する手掛かりがある、初期の台本を見てはじめて決定稿での作者の意図がわかる場合がある、ということが書かれていたけれど、たしかにそのとおりなんだと思った。

ところで今回、私が左利きであることが、ちょっとした問題につながった。お茶をいれるシーンがあった(前回の撮影では、他の人がお茶をいれることになっていた。今回、私に変更になった)んだけど、急須が、棒状の持ち手を握るタイプで、このタイプは実は右手でないとお茶が注げないのである。で、いくら左利きでも私は右手に急須を持ってお茶くらいは注げるんだけど、手首のスナップを利かせて急須を回す(お茶っぱがよく開くように、急須を揺する)動作が、右手ではどうしてもぎごちなくなってしまい、結局、揺するときは左手で取っ手を持ち、その後いったんテーブルに急須を置いて右手で持ち直して注ぐという動作にして、なんとかクリアー。いままで、利き手なんだから左手を使う、と、折りにふれ主張してきた私だけれど、俳優としては、右手でもいろんなことをできるようにしておいたほうがいいのかもしれない、と、きょう思った。

というか、ほんとうの問題は、実は、あんまり私がお茶とか注ぎ慣れていないことのほうだったかもしれない。演劇だったら1カ月とか稽古するからいいけど、映像の仕事だときょう行ってきょうやらなきゃいけないから、さっとこなせる守備範囲が広いほうが、きっと有利なんだろうなー。


04/23/2005(土)

昼前の新幹線で帰途につく。お弁当を買ったら、お好みでかけてお召し上がりください、と半熟ゆで卵がついていた。さてご飯の上に割って食べようと個包装のビニール袋をあけたときに、手元が狂って、鈍い音とともにあわれ半熟ゆで卵は新幹線の床に。どろりと流れ出す黄身、白身。うー、大好物だけにショックが大きく、しばらくぼう然とする。

夜、高山植物園観劇。


04/22/2005(金)

テレビを見たり、久しぶりに韓国語の勉強をしたりして過ごす。夜、映画の制作の方から電話。日曜日の撮影は、うちから2時間くらい掛かる集合場所に、朝9時集合とのこと。「朝9時ですか?」とたぶん3回くらい聞き返してしまった。でも、今週は仕事を離れて一週間休んだり遊んだりしたから、あさってからしっかりフッカツできると思います。


04/21/2005(木)

いえの人と食事をして(親子丼。玉子部分が、「濃厚なかき玉汁」状で、それはそれでふんわりとしていておいしかった)、お茶を飲んでから、一人京都駅に向かう。名古屋経由で長野(実家)へ。

長野は、一重の桜がいま満開。私鉄の窓から、北信五岳がきれいに見えた。春の空気のせいなのか、夕日のせいなのか、水墨画のようにうっすら、すっきり、していて、しかし山ごとにかすかに色のトーンがちがっていて、おととい見た京都、竜安寺の石庭に少し似ているように思った。ここに住んでる頃は、美しいとかなんだとか、思ったことはなかったと思う。ただ当たり前にそこにあったもん。

実家の大きなテレビで、『タイタニック』を見る(吹き替え版)。英語版を見たらまた印象がちがうのかもしれないけど、ポイントのはっきりしない映画だなと思った。あのネックレスが高価そうにもステキにも見えないところも、問題ではないだろうか。まぁでも、見ているときには、2/3以上の時間はすっかりひきこまれて見ていたのだけれど。


04/20/2005(水)

雨模様の日。きょうは観光せず、近所(錦市場、三条通)をいえの人と散歩。あと、部屋でだらだら。

夕食は、みんなと。素材もいいのだろうけれど、手をかけるべきところにきちんと手をかけたおいしさ。明日岡山に向かう五反田団の人たちと、「じゃ、東京で」と別れる。

帰りにいえの人と、アイリッシュパブに寄る。注文時にお金を払うシステム(キャッシュオンデリバリーと書いてあったが、それはテーブルで品物と交換でお金を払うということで、ちょっとちがうのではないだろうか。あれ?でも、場所がカウンターであれテーブルであれ、「品物と引き換えに」というのが「オンデリバリー」なのか?)の、気楽な感じの店だった。


04/19/2005(火)

きょうも日中はいえの人と京都観光。まず、三十三間堂へ行く。見ても見ても仏像がある。最初はどれも同じように見えていたのが、1/3ほど見たあたりから、一体一体のちがいがわかってきた。それにしても、写真を撮ったらフィルムを抜きますよとか、静かにしないと出ていってもらうとか、怒ったトーンの張り紙の多いところだなと思っていたら、最後の壁のところに「突っぱるだけの 張子虎 本当の勇気 持ってるかい」と書いた紙が張り出されており、あぁ、愛はあるんだな、でもこれでは若い人たちと通じ合うことはできないだろう、と寂しいような気持ちになった。

いったん京都駅まで戻ると、駅前に「修学旅行お助けマン」という表示があり、なにやら資料などが並べてある。係りの人に「修学旅行じゃないんですけど、京都の地図とかあったらいただけますか」と言って、京都の地図を入手。バスの路線を調べて、竜安寺に向かう。

「青年団の舞台は、竜安寺の石庭のように、どこから見ても全部を見ることはできないんです」といままで私は折に触れて説明してきたけれど、竜安寺の石庭を見るのは、実は今回が初めてだった。見て最初の感想は、え、こんなに小さいの?――であった。しかししばらく座って見ていると、最初は「岩がゴロゴロしている」としか見えなかったのがだんだんそれぞれの岩の色とかテクスチャーが見えてきて、見ても見ても見飽きなかった。観光バスのガイドさんの説明を漏れ聞いたところによると、騙し絵的に遠近法を利用した作りになっているので写真では実物より大きく見えるとのことだった。だれがいつ造ったのかというのも諸説あってはっきりとはわからないそうで、そんな謎がこの庭をより謎めいたふうに見せるのかもしれないなどと思いながら、しばらくぼーっと見ていた。

そしてきょうも『いやむしろわすれて草』を見て、その後は照明のバラシを手伝って、打ち上げ。


04/18/2005(月)

新幹線で京都へ。この京都行きのために貯めていた五百円玉貯金を、銀行に入れるひまがなかったのでジプロックに入れてそのまま持ってきたんだけれど、昼間時間があったので四条の銀行で入金。ATMの「紙幣」の口に硬貨をざらざらと投入してしまいぼう然とするという1コマもあったけれど、無事入金を済ます。思ったより少なかった……。

いえの人(仕事(五反田団)で来ている)と合流し、食事をし、夕方まで時間があるので銀閣寺へ行った。寺も庭園もすばらしかったけれど、一番印象に残ったのは苔の展示だ。升目に仕切った木箱の中に、これはナニ苔、これはナニ苔と名札を付けていろんな苔が入れてあり、その全体が(一字一句このとおりではなかったかもしれないけど)「銀閣寺の大事な苔」「ちょっと邪魔な苔」「とても邪魔な苔」の3種類に区分されている。執念のような強烈な情熱を苔に対して持っている人がいるんだな、ということが、その展示から伝わってきた。しかし私には、それをよく見てもよく見ても、庭園に生えているこの苔が大事な苔なのか邪魔な苔なのか区別がつかないので、その情熱はなかなか他人と分かちがたいものなんだなということも、わかった。

夜、五反田団『いやむしろわすれて草』を観劇。昨年の東京公演は、見れなかったのである。子供が言いたいことが言えなくて泣くことでしかそれを表に出せないという状態について、泣き虫の私には非常に共感するところがあり、なんだか大泣きしてしまった。


04/17/2005(日)

テアトロ・バッシェロの『トラキアの女たち』観劇。終演後、ジャンカルロさんとク・ナウカの宮城さんとのアフタートーク。ジャンカルロさんが「3千年前の世界は……」と言えば宮城さんが「平家物語では……」と言い、作品自体に引き続きなかなか壮大なトークだった。

バラシは青年団員みんなで。私は照明班。シーリングの場所がわからなくて無駄に階段を昇り降りしたり、指示された2つのことのどちらを優先すべきかわからなくて注意されたりしたけれど、動揺せずにやれたので、私としてはマル。

トラキアの打ち上げの後、アゴラに寄り、『隣にいても一人』の打ち上げにちょっとだけ参加。盛岡に帰っていく人たちに挨拶もしたかったので。


04/16/2005(土)

来週は旅行(京都へ五反田団を見に行く。帰りに実家に寄る)なのだが、私が旅に持っていくノートパソコンというのが3.4kgくらいあって非常に重く、最近それを持って移動するのが苦痛になってきているので、ころころ転がせる小さめのカバンを購入する。1,050円なので、まぁ、1回で壊れても元はとれるかな、という感じ。後、肌寒いとき用にカーディガンも購入。旅行の準備はワクワクする。

夜、『隣にいても一人』を再度観劇。


04/15/2005(金)

監督から電話。「ものすごく言いにくいんですけど、追撮をお願いします」。コンテクストというのはすごいな、と思うのは、初めて聞く言葉なのに追撮の漢字も意味もすぐに理解できたからである。ま、そんなに大げさに言うほどのことでもないか。とにかく、もう一日撮影ということになった。

『トラキアの女たち』(4/16、17 キラリ☆ふじみにて)の公演のため来日中のジャンカルロ・ナンニさんが、今週、きらり☆ふじみでワークショップをやっている。最終日のきょうになって、やっと時間がとれて、見学に行った。あなんじゅぱすのコンサートのときにナンニさんが、ワークショップに音楽がほしいと言ってオムトンに来てくれるよう頼んだ、という話は聞いていたんだけど、きょうがたまたまそのオムトンの来る日だった。ファンの私としては、非常に得した気分。

まず音楽に合わせて15分身体を動かしましょう、となったとき、ナンニさんが私に「やりたかったらやってもいいよ」と言ってくださった。踊りました、40人の受講生に混じって。オムトンの生音で。これだけで、きょう見学に来てよかったなーと幸せな気持ちになった。後半は、『トラキアの女達』のテキストを使っての発表。わずか数日のワークショップで作ったとは思えないほどの、壮大な物語が展開する。それにオムトンの音が加わって、もうここがどこなのかも忘れるような大きな世界になっていた。


04/14/2005(木)
注意:ロバート・カーライル主演の映画『フェイス』のネタバレがあります。

「パッチワークでカーテンを作る」プロジェクトがなかなか進まない。やっと時間が取れるようになったら、ミシンの調子がいまひとつ。上糸がアームの関節のところにぐるぐる巻き付いてしまう。カバーを外し、ハトメ(ひっかけて出す)、ハサミ(切る)、ラジオペンチ(つかむ)を駆使してなんとか外す。

深夜、テレビを流していたら、『フェイス』が始まったので、見てしまう。テレビシリーズ『マクベス巡査』で気に入った、ロバート・カーライルが主演。『フル・モンティ』では思ったほど魅力的でなくてがっかりしたが、『フェイス』のカーライルは、かっこよかった。驚いた顔、泣きそうな顔、情けない顔が、いい。ただ、ストーリーは、「必然性」というものがあまりなかったように思う。後半の、警察署に侵入するあたりの唐突なコミカルさも、おもしろいはおもしろいけれど、いくらなんでも急にトーンが変わりすぎではないだろうか。だいたい、いくら金のためといっても、あんなに人を殺しては絶対に収拾がつかなくなると思うのだが、どうだろうか。


04/13/2005(水)

「電話しました?」という件名で、知らないアドレスからメールが来た。本文は、「お久しぶりです。アドレス変わりました。さっき貴方の家の近くに」で唐突に終わっている。「なんか途中で終わってるメールを受け取りましたけど、どうしましたか?」みたいに返信することをネラッているんだろうか。もちろん、しないけど、返信。

『隣にいても一人』(盛岡版)のゲネを見る。この作品は、青年団でも4組くらいのちがうキャストで見たことがあるし、帯広演研版も見たけれど、この4人は同じ町に住んでいる人たちなんだなーという感じがこんなにしたのは、今回が初めてだった。公演は、あすから、こまばアゴラ劇場にて。


04/12/2005(火)

きょうは出掛けず、洗濯したり、ゆっくり休んだりして過ごす。

日曜に撮影で行った家のことが、まだ尾を引いている。どうも感傷的な気分が抜けない。なんなんだろうかと考えてみるに、いかにも家庭らしい家庭、家族らしい家族というものに「あてられた」みたいなところがあるみたいだ。「湯あたり」みたいに、「家庭あたり」。パッチワークの作品を家中に飾ったりするお母さんがいて、新書にフセンを付け傍線を引きながら読むお父さんがいて、中学(高校?)の制服を着た息子を笑顔の家族が囲む記念写真があって、っていうのを、しかもそれが虚構ではなくて淡々とした生活の場としてあるところを見てしまったために、ショックを受けたようだ。微笑ましい、いいなぁと単純に思う気持ちもあるし、羨ましい気持ちもあるし、自分の人生について考えさせられたということもある。

よし、分析、終わり! 次行こう、次。


04/11/2005(月)

朝からこまばアゴラ劇場で、きのうまでの公演の撤収と、これから始まる青年団プロジェクト公演『隣にいても一人』の仕込み。届くはずの荷物が届かなかったりで、予定よりも時間が掛かる。私は、青年団若手自主企画『蟹か二か弐か』を見に行くため、18時でアゴラを後にする。

電車の中で昨日の撮影のことを考えているうち、食卓のシーンを撮ったダイニングキッチンの、キッチン部分のあちこちに、そこんちのお母さんの手書きのお料理メモがマグネットで止めてあったことを思い出すと、涙があふれてきた。実はきのうも泣きそうだったんだけど、撮影があるから我慢したのである。別にお料理メモに悲しいところはなにもないわけなんだけど、やはりそういう料理メモの貼ってある、だけどそれを書いた人のもういない、別のキッチンのことが思い出されるのである。まぁ、泣くまでいっちゃうのは、私が泣き虫だからなんだけど。

『蟹か二か弐か』は、のほほんとしたホームドラマのような始まりがすごくよかった。翻弄される中心人物が大人たちであるところも、私としては、楽しめた。婚約者とお父さんの二人のシーンになると、トーンが大きく変わるが、その辺りから私は、あまりストーリーにひきこまれずに、遠くから俯瞰するような見方になった。私には、「作品の世界」よりも「作者の意図」のほうが前面に出てきているように思われて、素直に共感できなくなったのである。そして、あなんじゅぱすのコンサートに引き続き、「囲み客席」について考えさせられた。人数の多いシーン、台詞が中心のシーンはいいのだが、1人や2人で、特に間や表情で見せているときに、後ろ向きで顔の見えない登場人物がいると、興味を持って見続けることがむずかしかった。


04/10/2005(日)

映画の撮影。普通のお宅にて。

ピアノがあって、パッチワークのピアノ掛けが掛かっていた。パターンは、ダブルウェディングリング。白地に赤いリングで、よく見ると、そのリング部分がすべて同じチェックの布で、でもチェックの角度がそれぞれ微妙にちがっていて、なんだか全体的に動きが感じられ、見ていて楽しくなった。「お手本通り」でも「ルール通り」でもなく、かといって「オリジナリティー、命!」と根を詰めてがんばっているわけでもない。自分の好きなように楽しんで作った作品だ。

初めてのお宅に目が慣れてくると、壁掛けも、コースターも、植木鉢の下の敷物も、こたつカバーとティッシュカバー(この2つは撮影に使用)も、みんなそういう素敵な作品であることに気づき、ぜひぜひ作者にお会いしたい!と、私のキルター魂が炎をあげる。と、ちょうどそのお母さんが、「ちょっと出掛けてきます」と通りかかった。チャンス! 強引にご挨拶して、自分もパッチワークをやることや、作品の感想などをお伝えした。作品と同じく、おおらかで楽しんでいる感じの方だった。お会いできて、よかったです。

撮影は。きょう集まった3人の出演者のうち私以外の2人は昨日も撮影だったので、私1人が「初めまして」状態。そのことをちょっと心配していたんだけど、それでキンチョーしすぎるとかそういうことはほとんどなかった。普段は、2カ月稽古して公演に臨む、というような演劇の時間の流れの中にいることが多いので、短時間で集中してガーッと撮影(でも、こだわりは、捨てない)という映画の現場の雰囲気は、新鮮で、物珍しく、気が張るけど、おもしろい。

深夜に帰宅するも、なんだか目が冴えて、しばらく眠れず。


04/09/2005(土)

大学のとき女子寮で一緒だった人たちと、母校の桜並木にシートを広げ、満開の桜がはらはらと散る中で花見。大人の他に、小学2年生3人、1年生と3歳児が1人ずつ。子供たちは、最後には、桜とほこりとお菓子のベトベトまみれになっていた。よく遊ぶなー(詠嘆)。3歳児と手をつないで歩くと顔の高さがちがいすぎて会話がむずかしいということを、知る。

大人のほうは、それぞれ白髪が出たり肌に張りがなくなったりはしているけれど、そして話の内容はベビーシッターのことだったり教材のセールスのことだったりするけれど、雰囲気や話し方は学生時代とそれほど変わっていなかった。まぁ、人間、そう簡単に変わらないということか。

ところで。ウェブログ、blogというものが、定義がよくわからないのは置いとくとして、どうも好きになれない。その理由がわからなかったんだけど、こないだ、友人のブログを見て、わかった。私は、ブログの総覧性のなさ(長い記事の続きを読みたいとき、コメントを読みたいときに、いちいちクリックしないとならない)が気に入らなかったのだった。その、友人の日記では、長い文章も、コメントも、最初から全部一度に表示されているのである。そういうのだったら、私は、別に、きらいじゃない。


04/08/2005(金)

6月に富士見で公演する『フェードル』に出演することになった。先日オーディションを受けた結果なり。演出家フランソワ=ミシェル・プザンティと一緒にやるのは、私は今度が初めてだ。稽古は4月末から。

誘ってくださる方があって、月影十番勝負第九番『猫と庄造と二人のおんな』を見に行く。私にとって映画『お葬式』の木登り青年であり、ときどきヒストリーチャンネルで聞く落ち着いたナレーション(やってますよね?)の人だった利重剛が、甲高い声のふにゃふにゃのダメ男(役柄)になっていて、それになにより度肝を抜かれた。出演者が皆、すてきだった。自分のやりたい演劇ということについて、考えさせられた。

青山円形劇場から、公演通りのバー(ロンドンに行く友のお別れ会にちょっとだけ参加した)を経て、アゴラまで歩く。いえの人と合流して、帰宅。


04/07/2005(木)

桜が満開。

歯医者に行く。歯ブラシが不充分と注意されてしまった。インプラントの上からもガンガン磨いていいそうだ。

きのうから、くしゃみと咳と鼻水が出て、喉が痛い。とうとう花粉症を発症したのか? でも、いえの人の話だと、花粉症は目と喉がかゆくなるそうだが、その症状はない。

アラファトの妻です、という詐欺のメールが来た。


04/06/2005(水)

『子どものための劇作レッスン』(ジェラルド・チャップマン著 松田弘子訳 日本劇作家協会発行 ブロンズ新社発売 ISBN4-89309-353-3 1,800円+税)が出来上がって、きょう宅配便で私のところにも送られてきた。嬉しい。一昨年出版された『はじめての劇作』(デヴィッド・カーター著 あとは同上 ISBN4-89309-288-X 1,800円+税)は、この春、増刷になった。これも嬉しい。

夜、あなんじゅぱすのコンサート『ピチベの哲学』に行く。打楽器の魅力! お月見の唄は、スクリーンに映される写真と、歌声と、楽器の演奏と、360度囲む客席も含めた劇場内全体が、ぎゅぎゅっと一体になって、非常に印象深い一つの世界が作り出されていたと思う。しかし、囲む客席というのは、むずかしい。私は、それ以外の楽曲については、「3人の演奏者の顔や手元が全部見える明るいステージで、ミュージシャンにじっくり注目して聴きたい」という感想を持った。


04/05/2005(火)

外に出ると、除草剤のにおいがする、ような気がする。向かいの工事中のマンションだろうか?

お昼を食べに行ったデニーズで、近くの女子大の新入生とおぼしき人たちと遭遇。緊張と自意識が伝わってきて、なんだかこっちが落ち着かないような気持ちになる。新入生は、恥ずかしい。


04/04/2005(月)

昨日から、1泊でスキーに行ってきた。スキーは4、5歳の頃からやってたけど、大学生のとき以来20何年まったくやってなかったので、いきなり行って大丈夫なのか?他の人たちについていけるのか?と心配だった。しかし、なんのなんの、身体は覚えているものですね。最初は怖くてボーゲンばっかしてたけど、雪面の傾斜や肌理がスピードにどう関係するかがわかってくると――それはたぶん、昔の感覚がよみがってきたということだと思うけれど――結構昔のようにスイスイ滑れました。

それにしても、20年間のスキーの技術革新はすごいね。靴(ブーツって言うらしいね)も、自分でがんばって前傾姿勢を保たなくても靴自体が前傾してるし、後ろ半分がぱかっと後ろに開いて着脱しやすいし。靴の裏に雪が付いてスキーが装着できなかったとき、靴底と雪の間をストックでつついて雪を落とそうとしてたら、「横をたたけば、落ちますよ」と友が教えてくれ、靴の横っちょをストックでカンカンとたたいたら靴底の雪がするっと落ちたのにも、感心するやらおどろくやら。靴以外でも、外れたスキーが滑っていってしまうのを防ぐ滑り止め(流れ止め?)が、紐じゃなくて、ボイジャーの着陸スタンドみたいなヤツになってるのにも、あと、リフトに足掛けがあって、スキーの重さを支えてくれるのにも、すごい、すごいといちいち感心。リフトの速度も、速い感じがした。

おおむねなんもかんもめずらしくて、ビックリすることばかりだった。ゴンドラ乗り場の注意書きに「スキースタンドにはいらない」と書いてあったので、えー、あんな狭い、ゴンドラの外側のスキー立てに入ろうとする人なんているのか!?と思ったら、さすがにそれは私のカンチガイで、「スキースタンドにはいらない○○スキーをお持ちの方は……」と次の行に続いていたけれど。

きのうは昼前から夕方まで滑って、宿の夕御飯食べて(鮭フライとお刺身とポトフという、「メインディッシュが3つ!」的な美味しい夕食。茶碗蒸しもついた)、温泉に行って、帰ってきてだらだら飲んで、という充実の一日。きょうも、朝から午後早くまで滑って、夕方帰路についた。最初は、このスキー、アイスのスプーンみたいで変な格好だし、短いし、と頼りないように思っていたけど、カービングスキー、扱いやすくて、楽しかった。

あぁそうだ、ビックリしたと言えば、あれもおどろきました、ゲレンデのそこここでお尻をついたり膝をついたりして転がっている(ように見える)スノーボードの人たち。アザラシというか、人魚というか、そういう生き物のようだった。

話かわって。ウィルスだかスパムだか、変なのが来た。こんなの:

4 ban honjits houei saremasida..... kankoku drama PARI-NO  GOHIBITO!!
kousiki pink buta chokinbako oh goshowkai idasimas!!
parino goibito gousiki chokinbako,  drama poster freet ... 3,500yen

hanmailのアドレスから。URLが書いてある。韓国語ネイティブの人が書いたみたいな感じのするローマ字日本語だ。ターゲット、目的はなんなんだろうか。


04/02/2005(土)

週末にスキーに行く。もし天候が悪くてスキーができない場合は昼寝か読書くらいしかすることがないと聞き、読む本をきのう3冊買ったんだけど、きのうきょうで1冊読破してしまった。トリイ・ヘイデン著『檻のなかの子』。スキーのおやつに買ったチョコも、きょう食べちゃった。なにをやってんだか……。


04/01/2005(金)

CMのオーディションに行く。小学校6年生のお母さんの役だという。「普段着で」と言われて行ったんだけど、普段着の解釈というのは人によってずいぶんちがうんだなぁと思ったことでした。あ、解釈というか、普段着自体がちがうのか!

その後、自主短編映画の衣裳合わせ。『鍋と友達』、『鷹匠』、『ラ・フォサージュ〜愛をつく女〜』などを作った沖田修一さんの作品に出ることになったのだ。これもお母さんで、19か20の娘がいる役。


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