つれづれなる日々

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2005年12月の日々

毛皮帽


12/31/2005(土)

カナダに持っていくノートパソコン(普段はデスクトップを使っている)に入れたいソフトがあり、外付けのCD-Romドライブはどこにあるのかと探したり、見つかったCD-Romドライブが動かなかったりで、いろいろとやってくれていたいえの人に、「もっと早く言ってくれればなんとかできたかもしれないのに、どうしていまになって言うの?」と悲しそうに言われ、その意見はたしかにもっともなんだけど、とにかくいまになっちゃったわけで、いえの人を悲しくさせたというこの状況自体に自分も悲しく、なさけなくなって、ポロポロ泣いてしまった。結局、いえの人が、なんとかしてくれた。広辞苑を入れてもらって、あと、韓国語の入力もできるようにしてもらった。カナダへの出発がもうすぐで、何をどう準備しても間に合わないような、いやそうじゃなくてすんごい余裕があるような、なんというか地に足が着かない私です。


12/30/2005(金)

足のキズ(先日膿を出したとこ)を、きょうも整形外科で診てもらい、
「もうこの後来れなくなっちゃうんですけど」
と言ったら、先生(基本的にタメ口の若い人)に、
「ウソ!」
と言われ、
「ウソじゃないですよ」
と言ったら看護師さんが笑っていた。まだしばらくかかりそうなので、自分でケアできるように、消毒薬と軟膏を処方してもらった。いえの近所のこの病院、担当医師が曜日によってかわるので、先週から4回来てるけど毎回ちがう先生だった。きょうの若い先生は、タメ口なのでちょっとビックリしたけど、言う内容はしっかりしていて適切だった。前回は中年の先生で、人当たりはいいんだけどカルテもちゃんと読んでない感じで、私が何がどうしてここに来ているのかということを把握せずテキトーなことを言っていた。ということをいえの人に話したら、実力のある先生は患者との接し方がうまくなくてもやっていけるし、実力のない先生は患者との接し方とかで努力をする――と言われた。なるほどなー。

うちから成田空港に行くとき、直通バスが便利なのでよく利用するんだけど、来年早々カナダに行くにあたり、どうなんだろう、お正月って道が混むのかな?それともかえって空いているのかな?というあたりに自信が持てず、もしバスが遅れた場合車中でヤキモキするのがいやなので、フンパツして新宿から成田エクスプレスにすることにした。吉と出るか凶と出るか。


12/29/2005(木)

朝から、ねぎ豚、ニンニクレバー、マシュマロクッキー、ダイコンサラダを作り、イカのスペイン風はあと火を通すだけのとこまでやって、料理の準備ほぼ終了。

「ここが会場ですよ」(玄関の外に貼る)、「もう始まってるので静かに入ってね」(遅れた人用)、「この上に物を置かないでね」(コピー機の上に貼る)、「メッセージを書いてね」(フレンドシップキルトにする布用)などということを知らせるサインを作成。ワードの文章に画像を貼りつける方法を最近知ったので、描かなくてもいいイラストをつい描いてしまう。

会は、大成功だったと思う。なんか身内のことで照れくさいから詳しく書かないけど、テルミンの会もよかったし、その後の飲みも楽しかった。みんなかわるがわるテルミンを弾いてみていて、そのアプローチのちがいなども見ていて興味深かった。遅れて参加する人、もうすごく遅くなっちゃったんだけど家に帰る途中で寄ってくれた人もいて、長時間ダラダラと楽しかった。

『100文字レシピ』(川津幸子著)という本に載っていた「ねぎ豚」は、今回初めて作ってみたけど、簡単で美味しい。ねぎ6本を長さを半分に切ってナベに敷きつめ、3センチ幅に切った豚バラ700gを載せ、しょうゆ、紹興酒各1/2カップ、水1カップ入れてフタをし、弱火で1時間半煮る、というもの。こないだ試作したときはねぎがあまりにクタクタになっちゃったんだけど、あれは圧力鍋のせいで、普通に煮る分には大丈夫のようだった。


12/28/2005(水)

来年の北米ツアーについてのミーティング、定例のスタッフミーティング、青年団の全員が集まる「全体ミーティング」と、きょうは昼からミーティング続き。その後、劇団の忘年会。

一次会の後帰宅。明日の会のため、ポテトサラダとパイナップルきんとんとスパイス入りワインを作る。ゴボウサラダもあらかた作る(あとはレタスを混ぜるだけ)。


12/27/2005(火)

明日は1日忙しいので、明後日のイベントの準備をきょうのうちできるだけ進めておく。生鮮以外の食料品の買い出しをすませ、当日パンフレットを作成。イベント、イベントと秘密主義っぽいね、いえの人がキットを買って作った自作テルミンのお披露目会をして、その後飲もうという会である。

ミステリチャンネルでまた『マクベス巡査』をやっている。きょうは、前にビデオに録りそこねた「イザベルの変身」。今回は無事録画。

29日は私のキルト展も同時開催なので、先行して今夜キルトの展示を済ませる。


12/26/2005(月)

髪を切る。だいぶ短くなった。


12/25/2005(日)

調べ物半分自分の興味半分で、暮しの手帖の『ごちそうの手帖』(1990年代に出た分8冊くらい。最近はもう買わなくなってしまった)をだらだらと読む。以前読んだときは特に気にならなかったのだが、海外旅行記のようなものを複数の号に書いている女の人の口調が気になった。他の人がこうこうしたので自分の思い通りにことが進まなかった、という記述に、愚痴っぽさとかすかな優越感を感じる。気になる、ってことは自分にもそういうところがあるってことだろうか。


12/24/2005(土)

木曜の夜から足の親指の爪の生え際がズキズキ痛く、昨日から腫れてもきて、来週うちでやるイベントの準備や来年早々からの長期出張の準備ややることがいろいろあるのにどうしよう、3連休で病院も休みだ……と困っていたんだけど、きのう「『3連休』といっても、土曜日は普通の土曜日で、病院はやっているなじゃないだろうか」と気づき、きょう、いえの近所の病院に行った。ばい菌が入って化膿したんでしょうと、針のようなものを刺して膿を出してくれた。糖尿病とかはありませんかと聞かれ、最近健康診断を受けていないのでわからないと答えたら、きょう検査しますかということになった。結果は次回月曜に行ったらわかるとのこと。

やっと不自由なく歩けるようになったので、イベントに向けて買い出し。車輪付きのスーツケースを持っていって、重い物中心に購入。


12/23/2005(金)

『セパレート・テーブルズ』を見に行く。むかしむかし燐光群で坂手さんの役者姿を拝見して以来、また舞台で坂手さんを見たいなぁと思っていたので。40代の、挫折してでもまだあきらめきっていない、もう若くはないけどまだ青二才、みたいな男の役で、すごくよかった。私は泣き虫なので演劇を見てもよく泣くほうだけど、坂手さんは劇作家・演出家なわけで、その坂手さんの演技に泣かされて、なんだか俳優としてくやしいような気もしたけど、とにかく坂手さんステキだった。

作品全体としては、ホテル長期滞在の老人たちをもっと年輩の俳優が演じていたらもっとよかっただろうと思った。


12/22/2005(木)

出掛けなきゃいけない時間を1時間早く間違えたので時間に余裕ができて、東急ハンズをゆっくり見たり、お昼を食べたりすることができた。明日帰省する新幹線の指定を取ろうとして、JR町田駅の券売機で、「長野新幹線」→乗車駅は「大宮」→下車駅は「長野」→乗車券も買う……とここまで来て、選択肢に新宿駅がなくてまごまごしていたら、係りの人が、
「お客さん、新宿から乗車されるんですか? 町田以外はこれでは買えないんですよ」
なんだとー! じゃぁ機械の初めのとこでそう言ってください。

夕方実家に電話したら、雪がすごいから今回は帰ってくるな、と言われ、あぁ、指定取ってなくてよかった、と、結果的にはそうなりました。


12/21/2005(水)

先月受けたハングル能力試験3級の合否通知が届いた。77点で合格!


12/20/2005(火)

打ち合わせをしに友だちが来て、用事がすんでしばらくしたら、「お腹すいた。しょっぱいものが食べたい」(それまでお茶とクッキーだった)と言うので、イベント用の試作を兼ねてご飯を作った。「1時間半煮る」という豚バラは、圧力鍋で30分。福岡名物(?)山芋鉄板は、ウェブで見つけたいろんなレシピを適当にアレンジして初めて作ってみたけど、なかなかうまくできたので、ここにメモしておきます:

  1. 長芋200gをすりおろす
  2. 卵1個、しょうゆ小さじ1、マヨネーズ大さじ1、塩少々を入れて、混ぜ合わせる
  3. 厚手のフライパンを火にかけ、油をひく
  4. フライパンいっぱいにタネを流し入れ、弱火にし、フタをする
  5. おもて面が乾き、裏面がきれいに焦げたら火から下ろす
  6. 削り節、マヨネーズをかけ、フライパンのまま出す

しょうゆは、九州の甘いしょうゆを使った。


12/19/2005(月)

イベントのパンフレットを試作する。ワードで、画像を取り込むのはわかったけど、行頭位置にしか表示できなくて、上下の文字とのバランスが悪い。画像の横幅を拡大し、絵柄自体を右に寄せて、「左側に余白がたくさんある画像」を作成するという対症療法で処理。

紙と紙の接着に、ホットグルーガン(こないだ友だちにもらった)を使ってみた。なかなかいい感じ。


12/18/2005(日)

OPAPの『三人姉妹』のワークショップに参加。講師は、今回の演出の、坂口芳貞さん。「ワークショップというか、ただ、遊んでみよう、ということです」。身体をほぐす体操と、信頼のエクササイズ(円になって立ち、まんなかにいる目をつぶった人が倒れてくるのをみんなで受けとめる)の後、舞台で台詞を言ったりした。公演中の作品の舞台上で遊ぶというのは、面白い。セットというものは得てして強度がないものだけど、見た目が実に頑丈そうだから、セットに寄りかかってグラグラさせちゃう人がいたりした。

坂口さんという人がどういう人か、何を大切にしているのか、ということがわかるワークショップだった。まぁ、ワークショップというのは元来そういうものかもしれないけれど。出演者やスタッフの学生たちもたくさんいたので、学生たちと坂口さんがどういう関係を築いてきているのか、ということもわかったように思う。「(演劇は、遊びである。)どうせなら、遊び半分じゃなく、本気で遊ぼう」という坂口さんの言葉が印象に残っている。

テレビをつけたら、ハン・ソッキュ主演の『二重スパイ』がちょうど始まることろだったので、見た。以前部分的に見て面白そうだったので。ハン・ソッキュ、うまいね。ラストは、きっとそういうふうになるだろう、きっとこの人がそうなんだろうと、わかってて見てるんだけど、引き込まれていって、揺さぶられた。「展開が予想がつかない」というのも面白いけど、「そうなってほしくない予想通りに、ことが進んでいく」というのも、観客をひきつける力があるんだね。

友人から「人生経験バトン」というのがまわってきて、面白そうなので表形式にして回答してみた


12/17/2005(土)

青年団若手公演『北限の猿』の、マチネ(Bチーム)とソワレ(Aチーム)を見た。あいだの時間、ファミレスで過ごす。韓国語の勉強をしたり、年末にウチでするイベントの計画を練ったり。


12/16/2005(金)

3月に『ヤルタ会談』(と『忠臣蔵・OL編』)の北米公演がある。それぞれの脚本はもうだいたい英訳ができあがっているんだけど、ヤルタ冒頭にスターリンが歌う「インターナショナル」の替え歌も英語字幕を出そうということになってて、なってはいたんだけど私がなかなか手を付けられなくて、きょうやっと着手。

脚本を私と共同で翻訳しているカナダ人の翻訳者の人に、「英語の歌詞を元にして替え歌を作ろうと思うんだけど、英語のインターナショナルの歌詞が、いくつもあるみたいで、どれを元にしたらいいかわからない。『標準的』な歌詞ってありますか?」と聞いたら、「こっちの人は、共産主義者ででもない限り、歌詞よりもメロディーで『あ、インターナショナルだな』と気づく感じだと思う」との答え。じゃぁ、どの歌詞を元にしてと決めないで、とにかくインターナショナルっぽい感じになってて、なおかつ「あれ、この歌詞変だ。インターナショナルなのに、食べ物とかのことばっか歌ってる」と観客にわかってもらえればいいのね、じゃぁ、あっちこっちの歌詞をツギハギして使おう、と方針を決める。

ツギハギというのは、たとえば1番の冒頭は南アフリカ版(Arise ye prisoners of starvation)を使いたいし、2番の歌詞はアメリカ版(We want no condescending saviors...)、繰り返し部分はイギリス版(So comrades, come rally/And the last fight let us face...)がいい、という感じ。

じゃぁ1行めは、Eat ye prisoners of starvationで、2行めはFeast ye toilers of the earthと翻訳作業を始めてみて、あ、英語の歌詞、韻を踏んでるんだ、ということに気づく。始めてから気づくのは遅すぎるんだけど。で、「この単語と韻を踏んでる単語はこれこれ、というような辞書がないかなぁ」などと虫のいいことを考え、「rhyming dictionary」というキーワードで検索してみると、そのものズバリのRhymeZoneというサイトを発見!

Starvation、earthと韻を踏む単語の数々を眺めながら、南アフリカ版の3、4行め
For reason thunders new creation
`Tis a better world in birth.
をにらんでるうちに、
And season turkey for preparation
`Tis a better world than a dearth
という歌詞を思いつく。あぁ、なんてバカらしいんだ!とちょっと感動し、どんどん作業を進める。結局、途中で休みながら8時間ほどで2番の終わりまで歌詞を完成させ、共同翻訳者に送ったら「You've outdone yourself!(マチコさん、これスゴイよ!)」という返事が来た。きょうは、なかなか、達成感ありました。

ホットワインその後。「バーガンディワイン」と「ベルモット」を探してスーパーやデパート、量販店を回り(きょうは接客してもらいたくないモードだったので、一軒家の酒屋さんには行かなかった)、むなしく帰ってきてネットで調べたら、バーガンディってのはつまり「ブルゴーニュ」の意味の英語であること、ベルモットの商品名はたとえば「チンザノ」であることを知り、再度買い物に出掛け、生協でブルゴーニュワインとチンザノ、蜂蜜を購入し、ホットワイン試作。ちょっと甘かった。


12/15/2005(木)

12月の日記に付ける絵を描いて、ケータイにもダウンロードしてニイナちゃんに「こんなの描いたよ」と見せたら、「私の可愛い顔の絵も描いて」と言われた。見ぐさい顔だけ載せちゃってるもんね(なお、今月の絵は、特にだれというモデルのある絵ではありません)。

スパイス入りホットワインを、今度作ってみようと思う。スパイスの缶に書いてある作り方を、メモしとこう。
用意する物は、

作り方は、
  1. スパイスを布に包むなどして、後で取り出せるようにする
    (または、できあがったときに漉してもよい)
  2. 材料全部をナベに入れる
  3. 沸騰直前まで加熱する
  4. 20分ほど温める(沸騰しそうな状態をキープするということか?)
  5. スパイスを取り除き、熱いところをお出しする

12/14/2005(水)

いえにいて、ジャガイモ(こないだ札幌で10kg買った)揚げて食べたり、洗濯したり、やっと少し片づけを始めたりしているうちに、なんだか1日経ってしまった。


12/13/2005(火)
注意:フレデリック・フィスバック演出の『ソウル市民』の、舞台美術や演出に触れています。ストーリーのネタバレには、なっていませんが。

郵便局に荷物を出しに行く。列に並んで、番が来て、「小型包装物でお願いします」と言ったら、用紙に記入したか聞かれ、まだと言ったら、「荷物はお預かりしておきますので、あちらで書いてください」と用紙をくれた。記入してまた列に並ぶ。このとき1人か2人しか並んでなかったからそのまま並んじゃったけど、これもし10人とか並んでたら、文句言ってたと思う。ほかの用紙と一緒に最初から机のとこに出して並べておいてくれてるならいいけど、窓口でもらわなきゃいけない用紙を、もらうのに1回並んで、それを貼った荷物を出すのにもう1回並ぶって、ちょっとシステムが不公平だと思う。

夜、フレデリック・フィスバック演出の『ソウル市民』をシアタートラムに見に行った。きれいな光や、鮮やかな色彩、美しい声など、印象に残る美しいものが、いくつもある舞台だった。舞台面が2mくらいあげてあって、俳優は劇場の床面からそこまで、スロープをのぼって登場し、スロープをおりて退場する。夢の中にいるような、ゆっくりした歩みでのぼってきた俳優たちが、アクティングエリアに入ると通常速度になって演技を始める。その変化するところが楽しく面白かった。

しかし全体的には、演出が弱く、「ルールはあるけれど、きっちり守られていない」という感じを受けた。ときどき俳優が客席のほうを向くのも、字幕(フランス語字幕が出る)で青字になっている単語は変なふうに発音しているらしいのも、どういうルールでそうしているのか、見ていて私にはわからなかった。アクティングエリア外で、登場していない俳優たちが、壁のスクリーンに何か書いたり、折り紙をしたりしているのも、何を見せたいのかわからなかった。

一番気になったのは、台詞の言い方に統一感がないことだ。どうしてあの人は全部の台詞に抑揚をつけて歌うようにしゃべっていて、この人は自分の身体で納得しながらしゃべっていて、さらに別の人は抑圧されたような一本調子なんだろう。相手に向かって言葉を届けている感じの人と、「私が、私が」「聞いて、聞いて」と一人でしゃべっている感じの人がいるのは、どうしてなんだろう。それが不思議だった。アフタートークで俳優のかたが、「フレデリックは、言葉にヒエラルキーを作らず、どの言葉も同じ重要性でしゃべってくれ、と言った」とおっしゃるのを聞いて、ちょっとわかった気がした。その演出家の言葉の解釈のしかたが人によってちがうんだ。そして、日本語を理解しない演出家には、台詞の音やリズム以外の、もっと「意味」に近い部分については、俳優の持ってきたものの是非を見極めることができなかったんだ。仮に、たとえば、「大部分の人たちは、そう思ったでしょうね」という台詞があったとして、1つの言葉のかたまりとして「大部分の人たちは」と同じ強さでゆっくり言うならばいいけれど、「大部分の」「人たちは」と2つに分けてしゃべるなら、2つを同じ強さで言うことによって逆に「人たちは」が強調されてしまって、それでは台詞の意味が変わってきてしまうわけだけど(大部分の、「ネコ」ではなくて「人」たちが、みたいに)、音としてしか日本語を聞いていない演出家にとっては、そういうことは問題にならなかったんだろうと思う。

あぁ、そうか、壁に俳優たちがいろんな言葉を書いていくのについても、同じことが言えるのかもしれない。私は日本語が読めるから、なんという言葉、なんという文を書くのか、内容と意図を結びつけようとして見てしまう。でも、フレデリックにとってはあれは意味のない、エキゾチックな模様のようなものなんだ。フレデリックが「音楽」とか「絵柄」としてつくっているものを、私は「文字」「意味」として受け取ろうとする。それで、ギクシャクするんだね、きっと。

でも、言語が意味からまったく解放されたら、もはやそれは言語じゃないんじゃないだろうか。日本で日本語で上演するなら、「日本語のわかる観客がどう受け取るのか」ということをもっと考えてほしい。そんなふうに、私は思った。これはでも、演出家がどうのこうのということではなく、俳優個々の意識でどうにかできるものでもなく、どういうものをだれに見せたくて企画・制作するのか、という話なのかもしれない。


12/12/2005(月)

グリング『海賊』を見る。実はチラシの絵がちょっと嫌いで(単に蟻が嫌いなだけかもしれませんが)、見たいような見たくないような気持ちでいたんだけれど、見てよかった。前回も思ったんだけど、他の劇団の公演で見たことのある人たちが、グリングのとき(つまり、きょう)のほうがみんなステキだった。これはやはり演出がうまいということなんだろうか。

アメリカの友人に送るクリスマスプレゼントの包みを、やっと作った。間に合うか?


12/11/2005(日)

『S高原から』オーディション2日め。きょうは、藤沢(看護人)役で。ずっと前にやっていた役だけど、そのときといまとで、自分が台詞をどう解釈したいかという欲望の、量にも方向にもずいぶんちがいがあるなぁということに気づいた。生きているといろいろと面白いことがあるね。

帰宅して、変な時間に寝たり起きたりしていたら、ちゃんと寝ないうちに朝の5時過ぎてしまった。


12/10/2005(土)

『S高原から』オーディション第1日。私は、自分から希望して、上野(画家の元婚約者)の役を受けた。芸術的なパトロンで、でも恋愛みたいにも好きで、みたいなのをやりたくて、途中で相手の手をとろうと思っていたら、隣に座ると思っていた相手役が別のベンチに座ったので、距離があるけどどうしようかな?と迷い、でも立っていって相手の膝に手を置いたら、中腰の自分の姿とか、この後どうやって席に戻るんだろうということとか、いろんなことが可笑しくなってしまい、吹いちゃった。でも吹いちゃった以外はだいたい自分のやりたかったプラン通りにやれたので、私としては、よかった。オーディションだと緊張しちゃって、こんなはずじゃなかったのにぃということが多いけど、きょうは落ちついてやれたと思う(吹いちゃったけど)。

友と、お昼を食べようと、下北沢まで歩く。おじさんおばさんがやっているステーキとシチューの店のランチが、おいしかった。食後に、前から一度行ってみたかったアメリカンな喫茶店(と思ったら、食事もできる店だった)でお茶。デザートを頼んだら、頭が痛くなるほど甘いものがさっきのランチのメインの皿くらいの大きな皿にドーンと出てきた。甘い物を堪能した。


12/09/2005(金)

空港まで乗ったタクシーの運転手さんは、無口なようでときどき話しかけてくる、おもしろい人だった。空港までの鉄道がいま建設中だそうで、来年にはできるらしい。そうなったら便利だな。

出国も入国も特に問題なく、成田からバスに乗って、4時過ぎには帰宅。この旅にはパソコンを持っていかなかったので、2日ぶりに掲示板を見たら、パク先生が書き込みをしてくださっていた。


12/08/2005(木)

いえの人と2人で、観光。地下鉄駅まで大学路を歩く。歩道に、公園にある遊具みたいな、「ぐるぐるした鉄棒がトンネル状になっていてその中をくぐって歩くもの」があって、ふと見たらいえの人が普通にその中を通って歩いていた。日常を離れた、旅行気分になっているのかな?最近忙しかったけど、ちょっとはリラックスできてきたのかな?と思うとなんだか嬉しかった。

観光は、まず『その河をこえて、五月』の舞台である汝矣島の河原を歩いてみた。なるほど、こういうところなんだー。63ビルの前の食堂で食事をしてから、展望台に上る。確かに、高い。外の見えるエレベータで上に上がりながら、足がすくむ気がした。

次は、仁寺洞。日本人観光客がいっぱいだったけど、スタバに入ったら、ここは韓国人が多いようだった。まぁ、日本人観光客は仁寺洞に来てスタバには行かないかもね。

大学路で夕食をとり、その後30分ほど単独行動。7月に一度行ったポジャギの店に行って小さな買い物をし、これで現金が2000ウォンになっちゃって、もう1軒の手作り雑貨屋では、1万2千ウォンの物をカードで購入。

夜は、『その河をこえて、五月』のペク・ソンヒ先生が出演していらっしゃる演劇を見に行った。小劇場で見るペク・ソンヒ先生の、歩く姿、立ち姿の美しさに、開幕時に涙が出た。しかし、きょうの作品は、私は言葉は20%くらいしか理解できなかった。

観劇の前に軽く食べるつもりがドーンと大皿の鶏を食べてしまったので、終演後はビールを飲みに、去年『ソウルノート』のときに何度か行った、JSAというお洒落な居酒屋に行った。お店のおばさんが私のことを覚えていてくれて、
「どうしたの?」
「パク・カンジョンさんの公演を見に来ました」
「いつ日本に帰るの?」
「明日の朝です」
「パク代表にはもう会ったの?」
「はい、昨日会いました」
「そうそう、この公演、見にいかなきゃーと思ってたのよ。パクさんと、この演出家の人が、親しいのよ」
あらなつかしー、うれしーと、おつまみ1皿サービスしてくれた。去年は私が韓国語があまりできなかったから、ほとんど話ができなかったけど、いまはこのくらいは話せるようになって、嬉しかった。


12/07/2005(水)

早朝、バスで成田へ。空港で食事をして、13時前の便でソウルへ。直前に食事をしてしまったので、機内食があまり食べられなかったが、コチュジャンとハイトビールで、気分はすでに韓国。

仁川空港から路線バスでホテルに向かう。去年いえの人も私もこのバスに乗っているはずなんだけど、どうも路線が変わったらしく、どこで降りていいかわからない。「○○ホテルに行きたいんですけど、どこで降りたらいいですか」といえの人が運転手さんに聞いたら、「次ですよ」とのことだったんだけど、ホテルの近くの交差点(停留所もなにもないところ)でとめてくれた。

無事チェックインし、大学路の食堂で夕食を食べ、地下鉄で芸術の殿堂へ。開演に間に合わないんじゃないかと、駅から相当急いだかいがあり、開演5分前に到着。ロビーで『ソウルノート』のなつかしい人々と再会。

今回ソウルに来た主な目的は、パク・カンジョンさん(『ソウルノート』演出)とチェ・ヨンミンさん(学芸員役)が出演する『マルゴ タルトロク』という演劇作品を見るためである。芸術の殿堂(という大きな建物。中に劇場がいくつもある)の自由小劇場での公演。

細長い舞台を挟んで向こうとこちらと両面が客席になっていて、舞台装置はほとんどなし。開場中から舞台上を掃除していた掃除のおじさん(の役の人)の、「千何百何十何年(私は英語でも韓国語でも、数字が苦手なので、聞き取れなかった)、マジョルカ」という語りで開演。「マルゴ タルトロク」というのは韓国の国歌(愛国歌)の歌詞なので、なんでマジョルカが舞台なの?と思っていると、どうも、マジョルカのマフィアが、「愛国歌の作曲者アン・イクテはスペインに帰化している。韓国から、音楽著作権を手に入れよう」と画策する話のようで、マフィアが大統領に会いに行ったり、韓国大使に会いに行ったりするたびに、舞台が「ソウル」や「マドリッド」になり、また「マジョルカ」に戻る、そういう話だった。

マフィアがソウルに大統領に話をしにくる。相手にしてもらえなかったり、著作権料払う払うみたいなことを言うけど払わなかったり(たぶん)するので、またソウルに来ると、大統領が替わっていて(韓国歴代大統領を1人の俳優が演じていて、それぞれの大統領の姿形や口調を真似した演技に、客席がわきにわいていた)埒があかない、という繰り返し。その過程でマフィアが、催涙ガスを浴びたり、光州事件の場に居合わせたり、三豊百貨店の崩壊事故に巻き込まれたりしていく。パク先生演じる弁護士サリナスは、ドン・カルロスから「責任をとって死ね」と言われてピストル自殺。最後はドン・カルロス自身も、人に会いに行ったニューヨークで、世界貿易センターで死ぬ。言葉は、たぶん50%くらいしかわからなかったけれど、大変おもしろかった。上演時間が2時間強だったが、長く感じなかった。

観客との距離の取り方(ときには直接語りかけたり)、「外国語」の扱い方(全部韓国語でやってるわけだけど、通訳がいるシーンがあり、韓国語から韓国語への通訳というおもしろいものが見られた。その、最初忠実に言葉を繰り返し、次第に省略して最後はスペイン人(役の韓国人)と韓国人(役の韓国人)が直接韓国語で会話していても観客に違和感を与えない作り)など、とても興味深かった。また、マフィアのドン・カルロスがずーっとピーナツを食べているとか、大統領の服から白い紙のゴミがカサカサカサカサ落ち続けるとか、そういうリアリティじゃないリアル、みたいなのも、面白かった。掃除のおじさんも、観客に向かって説明したり霧吹きで雨を降らしたりしていたかと思うと、劇の登場人物として他人とやりとりもする、リアリティの度合いを自由に変化させるような役で、そういうのが混在しているのに全体として統一感のある作品になっているところが、私はとても好きだった。

終演後、パク先生、チェ・ヨンミンさんや他の出演者、演出家のかたなどと一緒に飲んで話す。パク先生に、電話のシーン(バルセロナオリンピックの後でサリナスが、マドリッドの韓国大使に電話するんだけど、つながらなくて、回してももらえなくて、困る)が良かったですと言ったら、笑っていた。衣裳、自前のシャツでしたね、と言うと、衣裳は全部自前だし、靴は『妻の愛人に会いに行く』(映画)のときの靴だった、とのこと。

内容がわかりましたか?みたいなことを聞かれて答えて言ったのは。韓国の愛国歌が、国歌なのに著作権のある楽曲であることとかは調べて知っていた。アン・イクテ先生のことは、在日韓国人のバイオリン製作者が主人公のマンガがあってそこにアン・イクテ先生の話も出てきたので、それだけ知っていた。歴代大統領のことは、韓国のマンガ『コバウおじさん』のことを書いた本を読んでいたので、ちょっとはわかった。だいたい半分くらいは理解できたと思う。


12/06/2005(火)

歯医者に行く。取れたネジを持っていったけど、もう装着しないとのこと。よかった。こないだネジしめるとき痛かったもん。

夜、友の結婚パーティー。こないだ札幌で買った赤いビーズのネックレスが、途中で寄ったアゴラで糸が切れてしまい、セロハンテープで補修。木綿糸が通っているだけだった。これで500円は、高い買い物だったかもしれない。売っていたエコロジー系の喫茶店のステキなムードにちょっとケチがついたような気持ちになった。

パーティーは、楽しく、特に青年団の後輩の人たちが披露した歌がすばらしかったけど、たぶん予定よりだいぶ多く人が集まっちゃったんだろうね、ケーキをみんなで食べましょうってっても、なんか全員分ないかもという心配が先に立つらしく、自分の知ってる仲間内でしかケーキサーバーを回さないみたいな雰囲気が少しあって、ちょっぴりだけ殺伐としたりしていた。でも結婚した2人が終始嬉しそうにしていたので、とても良い会だった。

帰宅して、明日からの旅行の荷造り。カバンが大きいので、荷造りが楽だ。


12/05/2005(月)

もろもろの片づけがあり、倉庫で作業。別の場所に借りているコンテナへ荷物を運ぶために車で移動中、
「あ、富士山!」
と言ったら、あんなに大きく見えるはずがない、雪も積もってない、と相手にされず。でも後で他の人に確認したら、やっぱりあれは富士山だったことが判明。

夕方終了し、飲みに行くという友と別れ、帰宅。きょうは、翻訳の仕事がたくさんあるんだよ。


12/04/2005(日)

引き続き、『東京ノート』オーディション。きょうは午後から。

その後、『砂と兵隊』千秋楽を照明ブースの近くから見る。終演後は、バラシ。とにかくすごい砂。砂自体を片づけるのも大変だけど、照明機材などがすべて砂ぼこりまみれになっていて、コードも灯体も拭かなきゃならなくて、だいぶ手間がかかった。

片づけの終わった劇場部分で、打ち上げ。帯広からの友もいて、楽しい時間を過ごす。

フランス人演出家のオーディションは、ダメだった。


12/03/2005(土)

『東京ノート』のオーディション。9時開始だから、遅くとも8時には家を出るつもりだったのに、どういうまちがえ方をしたのか目覚ましを8時にセットしていて、起床しておおいにあせる。15分で、すっぴんで家を出る。テーブルに散乱している化粧品をポーチに入れる時間さえなく、結局アゴラ近くのコンビニで最小限の物を買う羽目に。2000円近く、無駄な出費。オーディション開始には無事間に合い、いろんな学芸員やいろんな家族に出会う。

札幌から送ったOL・ヤルタの衣裳が届いたので、衣装係の礼子さんと私で、クリーニングに出しに行った。


12/02/2005(金)

来年とか再来年とかのフランス人演出家の公演のためのオーディションを受ける。

夜、桃唄309『ファイブ・ミニッツ』を観劇。桃唄を見るの、久しぶりだった。出演俳優が持って移動するセット、初見。迷路のような路地だって、家の居間だって、ビルの屋上だって、どこに場面がかわったってへっちゃらだ。みごと。そして、ビルの屋上から飛び降りた人が手首をつかまれて壁面にぶらさがる、というシーンを、人の支えるパネルと斜めに立つ俳優(客席から、ビルを仰ぎ見ている感じになる)で見せられたとき、私は感動して涙が出てしまった。こんなことを、こんなに真剣にやっている。演劇の可能性を見た気がしました。

飲みに誘われたけど、明日朝早いので、帰宅。オーディションの件で電話あり、候補に残ってはいるけれど、(前に『東京ノート』の公演で見たことがあるので)2次オーディションには呼びません、とのこと。フランス公演は2002年だから、もう3年も前。今の私を見てほしかったが、演出家がそう言うならしかたないか。


12/01/2005(木)

朝、劇場で搬出。思いのほか早く終わったので、ホテルに戻って朝食を食べることができた。部屋に帰って、チェックアウトの時間までちょっと寝て、空港に向かう。途中、ロビンソン百貨店の六花亭の売場に寄ったら、クリスマス用パッケージの商品などがあり、よかった。

羽田から、電車を乗り継いで帰宅。1時間半くらいか。いま住んでるとこは、どこに行くにもほぼ1時間以上かかる。アゴラまで1時間、羽田まで1時間半と考えると、なんだか羽田が近く感じる。


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