つれづれなる日々

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2006年2月の日々

ビクトリア大学のウサギとカモメ


02/28/2006(火)

朝、アパートをチェックアウト。月極で貸してるとこなので、2月ったら2月末に出なきゃならないとのこと。インターネット接続のモデムを外してる最中に不動産屋さんがもう来てしまって、少し待ってもらった。その後、荷物だけ置かせてもらおうときょうから泊まるホテルに行ったら、朝の9時過ぎなのに、部屋の準備が出来ていれば入れるので確認するからちょっと待ってくれと言われ、あいていたので、もう、すぐに部屋に入ることができた。続いて、ケーブルテレビの会社にモデムを返却に行き、それから大学へ。

きょうの授業は、日本語のほうも演劇のほうも、「決めたプロットに従って、実際に演じてみて台詞を決めていこう」というあたり。授業の最後に、「松田はきょうが最後です」と紹介されて、ちょっと挨拶した。私は泣き虫だけどきょうは泣くまいと決めていて、「泣き」に通じそうな小道はどこも封印しておいたので、普通の感じでさよならできた。

時差のせいか夜眠れず、2時間おきくらいにメールチェックする。


02/27/2006(月)

朝から荷造り。だいたいのめどがついて、能率手帳とか小さなカレンダーとか、頼まれてた物を買いに出掛ける。「荷物を小さく!」ということで頭がいっぱいになっているせいか、購買欲がわかず、余計な買い物をいっさいしなかった(私としてはめずらしい)。

バスで空港に向かう。夕方着く便で、渋滞がちょっと心配だったんだけど、ほぼ定刻に到着。チェックインカウンターに行き着くまでの列がなかなか進まず時間がかかった他は、順調。飛行機も、1月3日に乗った成田・バンクーバー便は大学生らしい若い人たち満載でうるさかったけど、今回は落ち着いた感じの乗客で、おだやかな気持ちで乗れた。

ビクトリアに着いて、空港とダウンタウンを往復してるシャトルバスに「ビクトリア大に行きますか?」と聞いたら行くというので乗車。タクシーの半額以下だから、助かった。そして、午後の演劇科の授業。グループ創作の話し合いと、日本演劇についてのレクチャー(後半)。

学生の作品を学生が上演するという催しが今週あるはずで、いつなのか聞いたら、きょうプレビューがあるとのことなので、急遽見に行くことにする。その前、研究室の近くの学食で一人でいたら、演劇科の学生が入ってきて、一緒の席にどうぞと誘ってくれたので、学生2人と同席する。いままであんまり授業以外で学生と会うことがなかったな、こういう機会がもっとあればよかったな、と思ったけれども私は明日が最後の授業参加。いまからじゃどうもならん。まぁ、きょうこうふに話せただけでも、よかった。

プレビューは、全体の半分(4作品)。それぞれ30分ほどの作品で、クラスの学生が、作者、演出者、出演者として多数参加していた。


02/26/2006(日)

6月の『東京ノート』海外ツアーのミーティングを駒場でやってから、ふじみに向かう。終演後、バラシ。と平行して、北米ツアー用に荷物をスーツケースに詰める。クリアケース4箱分のヤルタの小道具(と靴と帽子)、新しく増えた赤い布(装置の一部)でちょうどスーツケース1個分になった。

鶴瀬で小一時間ほど飲むという人たちと別れて帰路につく。自宅最寄り駅まで帰り着いてから、いえの人と少し飲もうと思ったらめあての店が休みで、ファミレスで軽く飲む。


02/25/2006(土)

1日2回公演。飲みに行く人たちと別れて帰宅。私はみんなより早い明後日の出発なので、なんだか一人で気がせいていて、自分がまだぜんぜん荷物の準備とかができていないことでちょっといらついている。


02/24/2006(金)

公演初日。きのう追加になった台詞の分も一応字幕が間に合ってほっとする。見に来ていたとあるフランス人演出家が、「あなたはよいスターリンだった」と誉めてくれた。


02/23/2006(木)

きょうも字幕の修正、追加が続く。ヨーロッパ公演で各地で翻訳者のひとたちが開演ギリギリまでねばって字幕を直していた気持ちがよくわかった。

舞台美術家にテーブルクロスを見てもらう。OKが出た!

早く終わったので飲みに行くという人たちと別れて、五反田団の稽古を見に行く。本番のとき海外にいて見られないので、稽古だけでも見せてもらいたかったので。


02/22/2006(水)

稽古は夕方からだったんだけど、小道具の探し物があり、あちこちのデパートをまわり、ないのでじゃぁ作ってやる!と生地屋にも寄り、最後にダメもとでのぞいた雑貨店でなかなかよい物を見つけ、時間ギリギリになって劇場へ。稽古は、字幕と合わせながらの場当たり。なかなかメリハリがあっていい感じだった。

多くのキャストが字幕を物珍しそうにして、自分の台詞を英語で読んでみたりしている。のはなぜかと思ったら、劇団としてはもうずいぶん海外で字幕付きの公演をしてるんだけど、それは『東京ノート』で、今回のヤルタ・忠臣蔵チームは2/3の人が初海外公演なのでした。


02/21/2006(火)

歯医者に寄って(状態がとてもいいと誉められた!)から、劇場入り。自主稽古、仕込替えの後、忠臣蔵の稽古。なのでヤルタだけの私とかは帰ってもよかったんだけど、字幕のチェックをしたかったので、残る。自分の翻訳した文字が字幕になって表示されるのは、自分の翻訳した台詞を俳優がしゃべってくれるのと同じくらい、嬉しかった。何カ所か間違いや不都合にも気づいた。


02/20/2006(月)

富士見にて、北米ツアーのミーティングの後、富士見公演の仕込み。私は主に衣裳のアイロン掛け。


02/19/2006(日)

きょうも『フェードル』自主稽古。きょうは、一応あたまからざっとみんなでやってみた。立ち位置や動き、タイミングの確認が主。その後、荷物をどうやって持っていくのかなど、半分雑談、半分ミーティング。で、「じゃ、スロベニアで!」と言ってみんなと別れる。私は2月末からカナダ・アメリカだからね。

アゴラに寄る。礼子さんが旅のしおり作りをしている隣で仕事のメールなど。ついはなしかけて礼子さんのじゃまをしちゃうんだけど、カナダの郵便料金が1月半ばに値上げになったこととか、その地図は劇場の位置がちょっとちがうよとか、じゃまばっかじゃなく少しはお役にも立てた様子。

夜はいえの人とにんにく屋(と一部の人が呼んでいる、おしゃれ飲み屋)。いつも頼む「豚肉とホウレンソウのグラタン」がメニューからなくなっていた!


02/18/2006(土)

いえの人とそば屋で昼食。その後『フェードル』の自主稽古に向かう。3月末にスロベニアとクロアチアで公演があるのです。きょうは、稽古といっても、自主稽古をいつどういうやり方でやろうかというのをみんなで決めて、後は昨年の公演のビデオを見ただけだけど。

そしてきのうに引き続き『上野動物園再々々襲撃』稽古。読み稽古。私は後半にならないと出てこないので、前半のときは事務所で少し仕事をさせてもらった。仕事っていうか、帰ってきてからなんだかんだでずっと忙しくて、メールの返事などもまだ書けてなかったので、そういうのを少し済ませた。

で夜は来週公演がある『ヤルタ会談』の自主稽古。12月初旬までやっていたから、スムーズに進む。

仕事柄しかたないんだけど、それにしても、「忙しいときは忙しく暇なときは暇」だなぁ。今年前半は、ずっと忙しい。


02/17/2006(金)

用事で朝虎ノ門。昼は美容院。美容師さんとの会話がつらくなってきた。美容室、かえるか? 新しいところを開拓するのは面倒くさいなぁ。

そして『上野動物園再々々襲撃』再演の稽古始め(今日明日だけちょっとやって、あと本格的な開始は4月。だから、いまは「プレ稽古」)と顔合わせ。そんなに飲んだわけでもないのに、久しぶりにみんなに会って興奮したのか、何を話したのかよく覚えていない。


02/16/2006(木)

午後2時頃成田着。1カ月半ぶりにケータイの電源を入れてみる、が、つかない。まったく電源切りっぱなしだったんだけど。しかたがないので、公衆電話からいえの人に連絡。最初、カードが入らない入らないと思ったら、テレホンカードではなくパスネットを入れようとしていた。ぼけぼけ。

空港バスで一旦帰宅。大きなスーツケース(車輪つき)に小さなスーツケースを乗せ、うんうんいいながら運ぶ。どっしゃんと落としてしまったとき、手伝ってくれようとしたおばさんがいて、あ、いいです、大丈夫ですと言って自力で回復してエスカレータに乗ったら、後ろから、
「がんばれー」
と応援してくれた。「手が出せないので、口だけ」と言う。どうもありがとう。嬉しかったです。

メールチェックしたくらいで、用事のためアゴラに向かう。用事を済ませて、深夜に帰宅。いえの人と家の近所の高くておいしい居酒屋で食事。少量のいろんな食べ物を食べるしあわせ。


02/15/2006(水)

早朝に起き、パッキングのやり直し。服は1枚ずつ、ロール状に丸める。箱ものは、箱から出す。靴は片方ずつ別々にする。化粧品類も、全部まとめてバッグに入れるのをやめて、バラバラで。ワザを駆使して無事全部詰める。ワザを駆使するとたくさん入るが、その結果非常に重くなるので、なるべくならワザ無しで荷造りしたいとつねづね思っているのだが、なかなかうまくいかない。

バンクーバーで乗り換え。なぜかビジネスクラスの席がもらえた。カナダに行くときは3人掛けのまん中の席で非常に窮屈だったんだけど、今回は大違い。非常に快適。


02/14/2006(火)

風邪の兆候はないが、用心して、ほっかいろを腰のところに貼っつけて1日過ごす。

日本語クラスで、バレンタインデーなので特別、と、「男の人が、2人の女の人とつきあっていることをなんといいますか?」というふうな授業があった。「三角関係」「二股」「コクる」などの単語がとびかう。学生が知っていて、カナダで長年日本語を教えている先生のほうが知らない言葉、というのもあって、聞いていてなかなか興味深かった。

昼食後、午後の授業まで研究室でパソコンに向かっていたが、きのう夜遅かったので眠くなり、きょうは夜観劇の予定が入っているのでぜひともここで体力を回復せねばと、カーペット敷きの床に直に横になり、リュックを枕にして、30分ほど寝る。すぐ後ろはドアを隔てて廊下なんだけどね。背に腹はかえられぬ。意外とぐっすり眠れました。

夜は、学生の公演『トップガールズ』(キャリル・チャーチル作)を見る。2時間以上の公演を、飽きずに観劇。俳優がみんなうまい。台詞のどの部分はどういうふうなつもりでどういうふうに言うという構成の組み立てをしっかりやったら、もっとメリハリがついていいと思う。

帰宅して荷造り。来てからスーツケース(小)1個買ったので楽勝でパッキングできると思って適当に詰めたら、入りきらない。もうくたくたなので、明日早く起きてやることにして、早々に就寝。


02/13/2006(月)

演劇の授業をとっている学生から、自分の撮る映画に出てほしいと頼まれていて、きょうの夜撮影、の前に1時から衣裳合わせ、ということになっていて、1時に大学の劇場の衣裳部へ。黒いワンピース、赤の濃淡のサッシュ、黒地に金で模様の入ったショール、暗紅色のハイヒールを選び出す。なんだかんだで1時間以上かかった。

午後の演劇科の授業では、グループ創作の続き(プロットを決める)と、「3カ所で別々の会話が進行し、しかもその場所と場所のあいだを人々が移動していく」という複雑なテキストを。

夜は、学生の自主映画の撮影。7時過ぎから始まり、途中照明機材から煙が出て煙探知器が鳴り出して中断したりなんだりあって、それでもともかく12時半過ぎに終了。薄着の衣裳だったので、身体がけっこう冷えてしまった。『ヤルタ会談』の公演も近いのに、ここで体調を崩すわけにいかない。お風呂に入ってあったかくしてやすむ。


02/12/2006(日)

疲れてダウンか?と思いきや、意外に元気に目覚める。

さて一時帰国前の最後の洗濯を、と地下の洗濯室(1月末に「コイン制を廃止して、無料で使える洗濯機、乾燥機を1/29から導入します」というお知らせがあったけど、いっこうに新しくならず、ずっとコインを入れて洗濯する機械のままだった)に行ってみたら、洗濯機も乾燥機も管が全部外されていて、なんだかえらいことになっていた。しかたがないので、コロコロの付いたスーツケースに洗濯物を詰め込んで、近所のコインランドリーへ。コインの入れ方がわからなかったりなんだりで手間取ったけど、なんとか洗濯を済ませる。

「遊びましょう」と約束していた友と、公園でサギを見たり、釣り人が捨てる魚の内臓を目当てに来るアザラシを見たり(かわいいというよりも、間近で見るとちょっと怖かったです)、中国人墓地を見たり、オープンハウスをやってる(=売りに出ている)マンションを見学したり、アフタヌーンティーをいただいたりして遊ぶ。帰国前の、きょうは最後のオフの日。「マチコがニューヨークに行っているあいだに、ビクトリアには春が来たよ」と聞いていたとおり、梅も桜も桃もいっせいに咲き出して、公園でもクロッカスや水仙が、柵に囲まれるでもなくそこらへんじゅうからひょろひょろと生えて花開き、街じゅうそこはかとなくやわらかく華やか。


02/11/2006(土)

午前中取材1件。日本語なので私は用無し。

ニューヨーク在住の友らに会う。
「マチコさんは、いまも(住まいは)大福町ですか?」
と私に聞いた友は、どうもお腹がすいていたらしい。忠臣蔵で使う食品を探しに行った日本食料品店で、大福を買って食べていた。

空港に着いて、出発予定時間の1時間前くらいから雪が降り始め、飛ばなかったら?乗り換えのトロントが大雪だったら?と不安になるが、どうにかこうにか無事ビクトリアに帰り着く(トロントで乗り換えのときちょいトラブルがあり、時間がぎりぎりになって空港内を必死に走りはしたけれど)。


02/10/2006(金)

昼間は大学でワークショップ。と、3月の公演会場の下見。

夜のイベントまで時間があいたので、ホテルの前のデリであたたかい物を買って(好きな物を好きなだけとって、重さにしたがってお金を払うシステム)、部屋で遅い昼食。と思ってTVをつけたら、スポックがピカード艦長に向かってしゃべっていた。わー、TNGだ。Reunification IIが終わると、続けてすぐに次のエピソードが始まった。マックス・ヘッドルームの人がゲスト出演してる回。見ているうちに食事も終わり、ベッドに寝転がっていたら眠ってしまい、TVの音が大きくなって目が覚めた。TNGが終わってコマーシャルになったところだった。

夜は、ニューヨーク市立大学で『日本の演劇人平田オリザと劇作家チャールズ・ミーとの夕べ』という催し。チャールズ・ミーさんの進行で、まず平田オリザがどういうことをしてきたどういう人物なのかという紹介があり、ビデオの上映(『東京ノート』『ヤルタ会談』『忠臣蔵・OL編』の抜粋)、ニューヨークの俳優による『ヤルタ会談』のリーディング(後半1/4くらい)を経て、最後は、チャールズさん、オリザ、リーディングの演出をしたヤフーダさんのディスカッションという流れ。ヤルタのリーディングは、抜粋でありながら1つの作品のように「はじまり」「中間」「終わり」があって、リーディングといいながら音響も置き道具も段取りもきちんと準備されていて、なかなか面白かった。この演出、キャストでも全編見てみたい。

ディスカッションの後、ロビーでレセプション(ワインとクッキー)。


02/09/2006(木)

街なかを、主にタクシーで移動。運転の荒い人が多く、ちょっと車酔い気味。

昼間は、大学でワークショップ。先方が希望してきたタイトルが『政治風刺劇とナチュラリズム』。信念をもった熱心な先生と演劇にも政治にも関心のある熱心な学生たち(卒業生もいた)からいろいろな意見や質問が出て、活気のあるワークショップになった。

ワークショップが終わって、アテンドのかたと3人で移動中(だから日本語で話していた)、その人がオリザに何か聞いたときに、オリザより先に私が答えてしまった。通訳のしすぎで、自分がだれなのかわからなくなっていたようだ。

演劇人との意見交換を兼ねて、キューバ料理店で夕食。壁際の机でずーっと葉巻を巻いている人がいた。普段授業やワークショップの通訳をするときは平田オリザの言うことを「私は〜です」と一人称で訳すけど、きょうは夕食の席で自分も話の輪に入りながら通訳もするという複雑な事態になり、しかもざわざわした店だったので聞き取りも難しく、「英語スイッチ」がいつかぷつりと切れてしまうのではないかと危惧したが、なんとか2時間もった。


02/08/2006(水)

ニューヨーク3日間の旅に出発。飛行機に乗ったのは5時間半ほどだけど、時差が3時間あるので、あっというまに1日が終わる。ビクトリア、トロント間のフライトアテンダント(男性、50代か?)が、他の人には英語で話しかけているのに私にだけしょっぱなから「ニーハオ」と言う。ヘッドセットを差し出しながら。寝起きでぼーっとしてたので無言で首を振ったら、次に飲み物サービスに来たときも、他の人には声をかけてるのに私にはジェスチャーでなにか飲む真似をしてきやがる。もう1人の女のFAさんはぜんぜん普通に応対してくれてるのにさ。非常に気分が悪かったです。たぶん本人には差別意識とか悪気はなくて、善意でやっているらしいという部分が、一番むかつきました。まずはマニュアル通りにやればいいじゃないのさ。それで相手が理解してないとわかったら、そのときに作戦を変えればいいでしょ? 何様のつもりだ。

到着してすぐ、小さな劇場での演劇公演を見に行く。明後日『ヤルタ会談』英語版のリーディングがあるんだけど、その演出家の人の別の公演。五反田団的(脚立など劇場備品出しっぱなし、山田のようなもの有り)、あなざーわーくす的(人形劇的になる、ミニチュアサイズになる)なところのある、でも全体的にはシニカルさもただよう1時間の作品。照明の人に終演後会う機会があり、「あの赤い非常灯もあなたがやったのですか?」と聞いたら、「いや、あれは規制でああしないといけないんです」と言われ、実はその赤い光がすごく効果的だと感心してみていたので、ちょっと言葉につまってしまった。


02/07/2006(火)

きのうも日記に書いたワークショップのことを、きょう、参加した人3人と別々に意見交換した。社会的に受け取る人、教育的に受け取る人、さまざまだった。ワークショップをした人に、そういう感想や意見をフィードバックしてあげたらいいと思うよ、と言ってくれた人がいた。もう少し考えがまとまったら、メールしてみようかと思う。

友だちとの会話。
「こないだワークショップで私ジャン=リュックって名前にしたのは、スタートレックが好きだからなんだ」
「あー、そうじゃないかと思ったよ。パトリック・スチュワートだよね」
「うん、『Xメン2』と3の撮影、ビクトリアでやったんだってね」
「そうそう。あ、あの、もう一人の人、...あの、えっと」
「カーク船長?」
「うん、こないだ死んだよね」
「え、シャトナー?」
「あれ?じゃもう一人のほうかな?」
「ニモイ? スポック?」
「うん」
「えー、ちがうんじゃないの? ボーンズ? ボーンズは死んだけど、だいぶ前だよ」
「あれー?」
と首をひねる相手を見て、はっと気がつき、
「あのさ、ついこないだウィリアム・シャトナーの肝結石がオークションで高値で売れたってニュースがあったけど...」
と言ってみたら、
「あぁ、それだそれだ」
で一件落着。


02/06/2006(月)

授業は、日本語のクラスも演劇のクラスも、グループでの創作に入った。そのグループの選んだ「場所」「背景(時間)」「問題(運命)」に沿って「登場人物」を決めるとなったとき、日本語のクラスの人たちは割とスムーズに進めていたけれど、演劇クラスではどうしても「ストーリー」についてのディスカッションになってしまうようだった。ストーリーと関係なくまず登場人物を決める、というのが、やったことがなくて難しいらしい。

きのうの「フランス語を学ぶモチベーションを高めるために演劇的アプローチを使う」という方法について、さらに考える。1日経って、あれはけっこう危険な方法なのではないだろうかということに思い至った。すばらしくうまいワークショップリーダーにしたがって、すごく深い経験を短時間でしちゃったわけで、それは強く印象に残るだろうしアカディア人への共感も生まれるだろうけれど、これは一種の洗脳ではないだろうか。洗脳は言葉かきつすぎるとしても、アカディア人側からしたら過去にあったことはたしかにああいうことだったんだろうけれど、迫害したというイギリス人の言い分だって聞いてみなくちゃいけないんじゃないだろか。大きな歴史的な流れの中で、なぜイギリス人がアカディアのフランス人を追い出したのか、アカディア人と友好的な関係にあったというミクマク族は本当はどう考えていたのか、そういう観点から考えることなくアカディア人に感情移入だけしていては、やっぱり、「洗脳された」「プロパガンダだ」という気がどうしてもしてしまう。まぁ、実際には、いろいろと資料を与えてそれらを読んだり自分たちで調べたりしながら行うということだから、ある程度客観的な視点も入ってくるのかもしれないけれど。スタートレック:ヴォイジャーの『ヴォリ防衛隊第4分隊』を見て以来、どうしても私はこのような考え方をしてしまう。きょう、最初、「このワークショップの進め方は、観客参加型演劇の参考になるのではないか」と思ったんだけど、いろいろと考えていくうち結構きのうの体験がトラウマになっている自分に気づき、上記のような考えに行き着いた次第。少なくとも、「フランス語を効率的に学習できる」ためにああいう経験をするというのは、割にあわないと思う。


02/05/2006(日)

学会最終日。きょうは通訳の仕事はなく、発表を聞いたりワークショップに参加したり。主に「演劇を第二言語教育に活用する」という観点で話が進む。

日本語を学ぶ生徒が、劇を演じる中でジェスチャーを的確に使い始めたら、感情表現もできるようになってきた、といった発表があり、
「ジェスチャーと感情と、どちらが先でしたか?」
という質問が出た。発表者の答えは、「同時だったように思う」だったが、発表を聞いていた演劇科の先生が、
「いつも、感情が先だ。感情が起こって、動きが起こる。逆は絶対にない」
と言ったので、
「私はそれには賛成できません」
と思わず言ってしまった。その後特に議論にはならなかったので私もそれ以上説明しなかったけれど、大きな声を出して気持ちがよくなるとか、人は吊り橋の上で恋に落ちやすい(怖くてドキドキしているのを、その人が好きでドキドキしているんだとカンチガイするらしい)とか、そういうことってあると思う。私の場合、ある種の音を聞くと涙が出たりもする。

「フランス語を習い始める前に、アカディア(カナダ南東部の旧フランス植民地)の歴史(フランスからカナダに渡り、イギリス人に迫害されて土地を捨てなければならなくなる)をAクラスには演劇的手法で学ばせ、Bクラスには従来的な方法(先生の話を聞く、資料を読むなど)で教えたところ、Aクラスの生徒のほうが、フランス語を学ぶモチベーションが高くなった」という発表もあり、その後、それを実際に体験するワークショップがあった。つまり、参加者一人一人がアカディアにやってきたフランス人になって、演じたり、感じたりするというもの。学会に来てるのはもちろん教えるほうの人たちなわけだから、「あなたがたの生徒に対して、こういうワークショップをすることができますよ」というデモンストレーションなんだけど、けっこう私は感情移入してしまって、途中でつらくなったりしてしまった。まず「あなたはフランス人で、これからカナダに渡ります。自分の名前と、どうしてフランスを出ていくのかを考えなさい」というところから始まったんだけど、名前はジャン・リュック、17歳。両親がずっと前に死んで、面倒を見てくれるおばさんとうまくいかないのでカナダに渡る。と決めたらなんかどんどんその気になってしまって、「船の上から、フランスに残してきただれかに、さよならを言う」とかいうあたりでちょっと涙が出た。終わった後の質疑応答のときに聞いたら、さよならを言うというのはいままでやったことがなく、きょう急に思いついてとりいれたとのこと。「あまり急に感情的なものが出てきて、少しuncomfortableだった」と感想を述べたが、他にも、「子供たちは、現実と劇の区別が付かなくなってしまうのではないか?」という危惧を抱いた人があった。

終わった後リーディングを見に(聞きに?)行く予定だったけど、学会で疲れてしまって、結局取りやめにした。スーパーに寄って買い物し、夕飯はカレー。


02/04/2006(土)

学会2日め。午前中は、日本語教育に演劇的手法を取りいれている方々のプレゼンテーションを拝聴。いろいろな人がいろいろなことを自分なりの方法で解決してるんだなぁ。演劇は言語教育から、言語教育は演劇から、それぞれ学べることがたくさんあるように思った。午後、オリザのワークショップ。これでこの週末の通訳の仕事は終わり。

いったん帰宅する時間ができたので、近所のデパートで服を買おうとしたら(「仕事」用に持ってきたスーツが、なぜだかまったく、絶望的に似合わなかったので。)、入ってまもなく「閉店5分前です」とのアナウンス。えぇ〜っ、6時閉店ですかぁ?

夜は、学会のバンケット。ビクトリアの街を見下ろせる高層のレストランにて。この頃には雨も風もやんで、絶景。


02/03/2006(金)

表現言語学会が、きょうから始まった。オリザの基調講演の通訳をした。講演の終わったあと、いろんな人に誉められた。言葉で訳しきれない分を声のトーンだとかボディーランゲージだとかでおぎなう、役者的体当たり的通訳ではあって、それは良い面も悪い面もあるだろうと自分では思っているが、何人もの人がわざわざ、よかった、すばらしかったと言いに来てくれて、ほっと胸をなでおろしたし、たいへん嬉しかった。


02/02/2006(木)

洗濯したり掃除したり。きのうに引き続き教材の準備をしたり。これが3段組(場所が3カ所)のうえに、あちらからこちらへ、こちらからあちらへと人が移動しながらしゃべるので、移動中の台詞は「1.5段め」や「2.5段め」的な位置に来るという複雑なもので、一応なんとか3段組は3段組に作ったけど、「.5」類は今回は切り貼りでなんとかすることにした。それでなんとかレイアウトを作って一段落していると「いまから迎えに行く」と電話がありびっくり仰天。3時に劇場下見に行くから2時半過ぎに出掛ける、ということを、さっきまで覚えていたのになぜかすっかり忘れてしまっていた! 5分ほど待ってもらって準備。

劇場は、テクニカルディレクターの人が案内してくれた。まだ新しい劇場なので、「照明機材もまだ増える」とか「天井のバトンももっと端のほうまで設置する」とか、あなたたちが来るまでにもっともっとよくなるんですよということを一生懸命説明してくれる。「音響卓は最新だ」と言ったときは誇らしげだったが、「私たち音響は使わないんです」「それは残念だ」。

こないだからいろいろと探してなかなか気に入ったもののみつからなかった、スーツケース(機内持ち込みサイズ)。何回も行っているデパートで、きっと前にも見てる商品だと思うんだけど、「あ、これなかなかいい」という気分になって、購入。雨の中、転がしながら帰宅。

夕飯は、ネギブタにジャガイモを投入。ブリティッシュコロンビア産のこの巨大ジャガイモは、ホクホクしてホントにおいしい。食後、あしたの学会での通訳の準備。あと1歩というところで頭がおがくず状態になり、断念。後は明日の朝やります。


02/01/2006(水)

来週演劇のクラスで使う教材を英語に訳したり、来週月曜日に撮影するという映画の台本を日本語に訳したり。この映画というのが、演劇のクラスをとっている学生が、短編映画(4分)を撮るのにまさにあなたがたのような俳優を探していた、ぜひお願いしますと言ってきたんだけど、きのう「今晩送ります」と言っていた最新版台本を、水曜深夜のいまになっても送ってきてなくて、大学生ってまぁ往々にして大人の基準から見たらいい加減だから(いい加減というか、時間の流れ方がのんびりしているのかもしれない。日本の大学生も。)最初からそのくらいのつもりではいるけれど、ホントに撮るんだろか。

夜は、3月に青年団が公演する劇場メトロ・スタジオに、一人芝居の公演を見にいく。


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