つれづれなる日々

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2004年1月の日々

『かもめ 第二章』の稽古(牧山さんと私)


01/31/2004(土)

寒い一日だった。というか、一日家にいて、煮炊きをする気も起きなかったからクラッカーとかツナ缶とかスナック菓子とか手近にあるものばっか食べていたので、代謝があがらなかったらしい。


01/30/2004(金)

きょうは夜しか出掛ける用事がなかったので、ゆうべ夜更かししてしまった。それで、出掛ける電車の中で爆睡して、乗換駅で寝ぼけた顔して電車を待っていて、友だちにバッタリ会った。会ったというか、友が私の顔の前で手を振っていることに、1秒くらいたって気づいた、という感じ。ホントに、ぼーっとしてた。

若手『東京ノート』自主稽古。「演説」のところが何回もやれてよかった。その前の「一括して寄贈」のところは、なんで平山のことを、一人でいる(つまり、だれかと一緒にいるわけではない)と思うのか、なんで自分の勤務している美術館の内部的なことを、周りにお客さんのいるロビーでしゃべるのか、どうもよくわからない。たぶんいま実寸がとれてなくて、周りの人があまりに近いから、それで変な感じがするんじゃないかとは思うけれど。


01/29/2004(木)

若手『東京ノート』自主稽古。私の稽古としては、「電話」と「有機農業」(ある人の台詞で1回「有機農業」という言葉が出てくるだけで、内容的には、特に有機農業のことが述べられているわけではありません)。

3時から元祖演劇の素いき座の『阿房列車』を見て、その後、世田谷パブリックシアターに、フレデリック・フィスバック演出の『屏風』を見に行った。以前『われらヒーロー』で「劇場の影」たちが言ってた台詞って、これだったのね! レイラが、すてきだった。音響(音楽も含め)がよかった。スピーカーから台詞が聞こえる公演で、こんなにストレスを感じなかったのは、私ははじめてかもしれない。映像もよかった。演劇で映像が使われるとがっかりする場合が多いけれど、この公演の映像は、変な違和感がなかった。


01/28/2004(水)

去年訳した『はじめての劇作』にも、いま訳している『劇作ワークブック(仮題)』にも、毎日決まった時間に机に向かう習慣をつけろ、と書いてある。そのとおりだと思う。わかっちゃいるけどそれができなくて、なにか書く仕事を始めるときに、その気になるまで半日くらいかかったりしている。まぁ、書くのが私の仕事のすべてではなくて、演劇の稽古や公演があれば毎日外に出掛けていって、ぜんぜん机に向かわない日が続くんだから、ある程度はしかたない。


01/27/2004(火)
注意:E・L・カニグズバーグの、"Silent to the Bone"と"The Outcasts of 19 Schuyler Place"のネタバレがあります。

"The Outcasts of 19 Schuyler Place"読了。最後の数ページになるまで、主人公マーガレット・ローズ・ケインがだれか、まったく気づかなかった! 前の作品に出てきた、知ってる人だったとは! 名前からも、状況からも、当然わかったはずなのに。でも、"Silent to the Bone"のコナーの異母姉のマーガレットだって気づかないで読んでいたせいで、12歳のマーガレットに、より素直に感情移入できたと思う。気づかなくてよかった。

どうなるどうなるとぐいぐい引っぱっていくストーリー展開も、次々登場する魅力的な大人たちも、とてもおもしろかったのだけど、読み終わって考えてしまうのは、裏庭に次々塔を建て、色を塗り直し、飾りに下げた物たちが風に鳴る音を聞き、そうやって暮らしてきた大叔父たちが、塔の取り壊しは免れたといっても、自分たちの住居とは離れたところに塔が移築されて管理されるようになったわけで、これが芸術の話だというなら、美しい物を作らずにいられない芸術家の話だというなら、4つ目の塔を建てるつもりで材料をすでに用意していた叔父さんたちは、その後塔を建てないでどうやって満足して暮らしていったのだろうか、ということだ。皆の尽力で、塔は取り壊されないことになり、町の名物になりました、めでたしめでたし、という終わり方に、疑問を感じた。全体に、後半が少し急ぎすぎのような印象を受けた。それと、P.264に、引用符の閉じ開きがおかしいところが一カ所あった。


01/26/2004(月)

好きな作家、カニグズバーグの「新刊が近日発売予定」、とAmazonからお知らせが来たのが23日。同日「予約注文」したら、すぐに発送のお知らせが来て、きのうもう現物が配達されてきた! "The Outcasts of 19 Schuyler Place" きょう、電車の中で読んでいると、時間の経つのが早い、早い。あっというまに目的地に着いちゃう。

いま、1/4くらい。状況や人物の布陣がいかにもカニグズバーグっぽいところが、気になるといえば気になる。今後の展開に期待。


01/25/2004(日)

香港の演劇人が、平田オリザのインタビューに来て、私は、通訳でつく。自分が数字にものすごく弱いといういことを再認識する。「89年から94年の5年間」と言っているのに「84年から」と訳してしまう。89とeighty-fourが対応していないことにも、それでは5年じゃなくなって内容が矛盾することにも、とっさに気づかない。数字はメモをとらないとダメだ。

稽古は、きょうもAB合同で。私のとこは、「家族をよけて通る」と、「小野vs.串本」から「有機農業」。

2月の『東京ノート』本公演に向けて、美容院に行く。東京ノートのことだけ考えたら、おとなしめの、きれいに整えた感じのアタマがベストなんだろうけれど、「中途半端はむずかしい」と美容師さんも言うし、けっこうきつくパーマをかけてもらった。「ブローすればそういう感じになる」とのこと。10年以上同じ美容師さんにやってもらっているんだけど、
「見た目は変わらないけど、髪に腰がなくなってきたね」
と言われた。そういうところに、歳が出るんだね。「かけたてのときくらい、こういうのもいいよ」と、逆毛を立てるみたいにしてくれたので、鳥の巣のようなアタマで帰る。


01/24/2004(土)

きょうも、オーストラリア電話インタビューの通訳をつとめる。「『静かな演劇』は、『悟りの演劇』とか『めざめの演劇』と呼ばれているが、それはどうしてだと思いますか」という質問に、インタビューを受けている平田オリザも、通訳の私も、「え? そうなの?」とビックリ。なんか、日本語から翻訳されたなにかの資料に、そのように書いてあるということだった。

若手稽古は、AB合同。1場の「電話」のところができた。その後、スタッフミーティングに出る。別に出席しなくてもかまわないんだけど、春はスケジュールが目白押しなので、全体の雰囲気を少し知りたかったので。その後、全体ミーティング。6時間。

メールがきらい、という人が、
「でも、だからって使わないと、デジタルデバイスになっちゃう」
と言うので、なんで「デジタル機器」になってしまうんだろう?と、一瞬わけがわからなかった。あ、そうか、デジタルディバイドのことだ!とすぐに気がついたけれど。


01/23/2004(金)

1時から、若手A。私の稽古は、「小野vs.串本」から「有機農業」を経て退場するまで、そして、「温泉」のとこがやれた。7時からは、若手B。こちらは、私は「温泉」のみ。でも、AとBで相手役がちがうので、稽古できてよかった。でも、AでもBでも、「温泉」の会話は私がおこられてるみたいな感じだ。志賀さんが串本をやってるときは、そうでもないと思うんだけどな。

稽古に来れない人が多くて、できないシーンが多いのが、残念だ。まぁ4月の公演であり、本格的な稽古は2月末からで、いまはできるところをやっておこうという感じだから、いいっちゃいいんだけど。以前、ある演出家から、何を乗り越えて稽古場に来ているかは人それぞれであり、わからないんだから、稽古を休む人を安易に非難すべきでない、と言われたことがある。それは、そうだと思う。ただ、残念だなぁ、とは思う。


01/22/2004(木)

若手『東京ノート』の稽古が夜にある予定だったけれど、人が集まらないので、きょうは昼間に自主稽古だけやった。いない人の分は交代で代役で読んで、とにかく、台詞や動きを身体になじませるため、何度も練習。1つのシーンを1時間以上繰り返しやっていると、自分の中でプツッと音を立てるようにして集中が切れる瞬間があり、興味深かった。3場の、長い台詞のところを練習できて、よかった。


01/21/2004(水)

きょうも『S高原から』オーディション。きょうで、終了。発表は今月末くらいとのこと。

オーストラリアのマスコミから、平田オリザに電話取材があるとのことで、きょうは私が通訳として付くことになり、電話に出たら、
「通訳を介して取材するのは、むずかしい。あなたが出演しているのだから、まずあなたから話を聞きたい」
ということになり、平田の前に私も取材されることになった。いつから『東京ノート』に出ているのですか?10年やっていてかわってきたことはなんですか?この作品は、あなたにとって、どういうところがむずかしいですか?――後から考えてみると、なんだか情緒的なことばかり答えてしまったような気がする。

午後は、若手『東京ノート』稽古。Aチームは、1場あたまからやっていったが、串本(私)の最初の出番までは進まず。その後、早退の人が抜けたのでドーンと飛んで、最後に、串本、小野、平山がコーヒーを飲みながら話すところを少しやった。

夜はBチーム。若手自主企画がいろいろ進行中だったりしてあまり人が集まらず、稽古できるのは、串本、小野、平山がコーヒーを飲みながら話すシーンと、その後の、小野・串本対決シーンのみ。1時間半ほどで、終了となる。私は、風邪ひきで耳がよく聞こえないのか、演出家の言うことが1回で聞き取れず、聞き返してばかりいた。そして、帰りの電車の中で台本を見直していて、1つ台詞をすっ飛ばしていたことに気づく。あぁ、なんか唐突な感じがしていたのは、このせいだったのか!

この若手公演のダブルキャストは、A、Bどちらかだけ出ている人、両方同じ役で出てる人(私とか)、両方出てるけどそれぞれちがう役をやっている人があって、なかなか複雑、というか、俳優同士で自主稽古をしたいシーンをピックアップするにも、だれとだれがいればいいのか、わかりにくい。ていうか、考えるの自体がめんどくさくなってしまう。という状態だったんだけど、きょう香盤表(どのシーンにどの登場人物が出ているかの一覧表。俳優名も併記)ができてきて、調整が楽になった。


01/20/2004(火)

午前中、『S高原から』劇団内オーディション。アゴラの稽古場に、ひしめきあう劇団員。


01/19/2004(月)

『東京ノート』若手公演の稽古に向かう。頭の中では、引き続きかもめの音楽が鳴っていた。

諸事情あり、きょうは稽古はなく、稽古用の台本の印刷、製本等の作業とミーティングのみ。ミーティングでは、「係り」を決める。制作、生活、装置、衣裳その他の係りを、キャストが分担する。その後、自主稽古(俳優だけでやる)の段取りを決めて、解散。

夜の便で帰国するテアトロフィーアの面々に、挨拶しにホテルに行くはずが、路上でバッタリ会って、日本に来てくれてありがとう、会えて嬉しかった、かもめも見に来てくれてありがとう、またね、と別れる。

風邪っぽく、いえの人と食事をしようと言っていたのもキャンセルして寝る。深夜起きてみると、いえの人が私のためにカップスープとかを買ってきてくれてあって、カップスープとかだけじゃなくてチョコレートもあって、甘い物のきらいな人が買ってきてくれたチョコレートというのは、なんだかとっても嬉しかった。


01/18/2004(日)

かもめ、最終日。「千秋楽おめでとうございます」という挨拶が聞かれる。あれは、お互いに「おめでとう」と言い合うものなんですかね? 初日にも「初日おめでとうございます」と挨拶する人があったけれど、言われたら、おめでとうと言うのか、ありがとうと言うのか、普段そういう習慣がないので、よくわからなくて、でも同じ座組みの人同士なんだからお互いにおめでとうなんだろうなと思いながら、曖昧に頭だけ下げていた。

2時開演で、最後の公演。初日の緊張に、ちょっと似ていた(私は)。終了して、バラシ。それから、打ち上げ。2次会を11時半に抜けて帰宅。

私は、「おしゃべり」で「右から左」で、気をつけていたつもりなのに、きょうまた、失敗してしまった。以前友だちに相談したとき、
「二人だけで話したことは、他の人には言わない」
という原則を教えてもらって納得したのに、つい……。完全には直りそうにないです。秘密の話を私にする人は、これは他の人に言うな、と断ってから、してください。お願いします。


01/17/2004(土)

雪降り。電車の中では『東京ノート』。10年やっている演目だけど、今度の若手公演では、学芸員の串本という、いままでやったことのない役をやるので、台詞を覚えないといけない。

『かもめ 第二章』は、きょうは2時と7時と2回公演。昼に、会うの10年ぶりくらいじゃないかしらという友が見にきてくれて、終演後、コーヒーショップで話す。

本番が始まってから連日飲んでいたんだけど、あした朝が早いので、きょうはまっすぐ帰宅。


01/16/2004(金)

メールを読んだり、こないだ頼まれたイラストの修正をしたりしていると、もう出掛ける時間。来週から青年団若手公演『東京ノート』の稽古が始まるので、電車の中で台本を広げたけれど、1駅過ぎたあたりから終点1コ前の駅まで爆睡。

そして、きょうは、きのうよりは時間的に余裕を持って本番をむかえることができた。


01/15/2004(木)

きのうは、テクリハの続き、ゲネ、本番初日と盛りだくさんな一日だった。朝が早かったけれど、ゲネの後、劇場内の自分の「家」(俳優ごとに「家」というか「陣地」というか、そういうもののある舞台装置です)で少しゆっくりごろごろできたので、いい状態で本番をむかえられたと思う。

きょうは、5時集合。立ち位置の確認とか、みんなで合わせる段取りの練習とかで、当初自分が予定していたほど「自分のための準備の時間」が取れず、私は少しあせっていらいらしてしまった。時間がない!というのは、でも、不思議な高揚感も呼ぶもので、結果的には、マイナスにもならなかったように思う。

宮城さんは、きのうの初日を見た後、けさの便でフランスに戻ったそうで、きのうお話しする機会がなかったのが悔やまれる。


01/13/2004(火)

スタッフやク・ナウカの人たちは、9時から仕込み。キャストは11時集合。それでも家を出たのは9時半少し前。あぁ、家が遠い!

りんかい線で行ったのだけど、天王洲アイルの駅についてから、スフィアメックスに行き着くまで、だいぶもたついてしまった。明日は品川から歩こうと思う。

11時に着いて、まず、自分の小道具でまだ作りきれていなかったものを作成。その後、自分の「家」の仕込み。一昨年のワークショップのときと同じく、それぞれの俳優に「陣地」というか「家」のスペースがあり、それを俳優各自が仕込んだ。

夕方から、照明のきっかけを中心にテクリハ。夜、通し稽古をする予定だったので、本番を見られない青年団の人が2人ほど見にきたのだけれど、テクリハが終わらなくて、通し稽古はなくなってしまい、悪かったけれど、稽古を楽しんで見てはもらえたようで、それは、よかった。


01/12/2004(月)

明日劇場入りなので、稽古場での稽古はきょうが最後。フランスから一時帰国した宮城さんや、公演が重なっていて本番が見られない青年団の人たちが通し稽古を見にきた。


01/11/2004(日)

稽古の帰り、数人で回転寿司に行く。きょうはアジが美味しかった。

家の近くのホームセンターに探し物に行く。『かもめ』用にほしかったものは見つからなかったが、いろんなものを見ているうちに新しいアイディアが浮かんだので、その方向でやってみようと、必要なものを購入。あと、前からほしかった「ドクターバッグ」が入荷していたので、買う。ぱかーっと大きく口の開くかばん。


01/10/2004(土)

金曜日だと思っていた。電車の時刻がきのうとちがうのであれ?と思ったんだけど、まだ気づかないで、銀行でお金をおろそうとして、手数料が掛かるけどいいの?という表示が出て、それでやっと気づいた。曜日なんてまったく関係ない生活をしてるからなぁ。

稽古の後、こまばアゴラ劇場に、カナリア諸島から来ているテアトロフィーアという劇団の公演を見にいった。言葉は使わないんだけど、声を使わないわけではなくて、擬声語、擬態語がばんばん出てくる。カフェの丸テーブルが、どんどん別のものに見立てられて、かわっていく。シチュエーションも、ほんの小さな音の取り違え、動きの解釈の違いをきっかけとして、次から次へとシフトしていく。夢、のようだった。この公演だけでなく、他にもいくつかきっかけがあって、最近、演劇と夢との関連について、よく考える。

チラシのイラストは、再度直しの要請あり。最初に送ったのと、「○○を追加してくれ」と言われて付け足したのと、プリントアウトを並べて、これこれと思うのでこうしてほしい、と説明してくれたので、たいへん納得がいった。


01/09/2004(金)

稽古再開。衣装合わせの後、3シーンほど段取り確認稽古をした後、通し稽古。

夜、こまばアゴラ劇場で開催されている「舞台と空間のワークショップ」の第2回の、笛を作るワークショップを受講。ペットボトル、ビン、竹、フィルムケースなど、思い思いのもので笛を作る。私は最初、プラスティックの注射器を使ってみたけれど、1音出て、嬉しくなって、筒に穴をあけたらとたんにもう音が出なくなって、なんだかつまらなくなって、用意されていた竹を一節分もらって挑戦。吹き口もつけないまま吹いてみると、きれいな音がして、思い切ってあけた穴によって、強い息で1オクターブ高い音を出したときに限りだけれど音程を変えることに成功。低い音、高い音、穴をあけた音、高い音よりさらに強く吹いたときに出るもっと高い音、の4つの高さの音が出せるようになった。音が出た、とあちこちで人が喜び、夢中で素材を加工し、夢中で吹き、とにかく大の大人が10何人集まって何をしてるんだ?という感じの、わんわんと響くような楽しい時間だった。

最後にそれぞれがみんなの前で演奏してみせた。私は、出せた4音の組み合わせで強引に小さなメロディーを作った。1つの音程だけじゃないものを、どうしてもどうしても出したかったので。


01/08/2004(木)

稽古がお休み。洗濯、たまってたシンクの洗い物も片づける。あと、小道具作成。劇団の仕事も片づけて、イラストの直しもやった。久しぶりにご飯炊いて食べた。最近、サンドイッチとかコンビニばっかで、しかも時間がなくて1食は歩きながら、なんて日々でした。家でご飯炊いたほうが安くあがるのはわかっているんだけど、手間と時間がかけられなくて……。

さて、明日からまた『かもめ』、公演終了までノンストップだ!


01/07/2004(水)

朝、手持ちの服をざっと見ていたら、衣裳にぴったりそうなやつが見つかる。どうかしら。

イラストは、おおむねオーケーだが、空に、飛ぶ○○を入れてもらえないか、という返事が来た。描きます、がんばります。

稽古の後、アゴラに『4時48分サイコシス』を見にいく。いま抱えている翻訳のことや、いま稽古中の『かもめ』の登場人物の絶望のことや、いろいろと気になってしまって、私は、あまりいい観客ではなかったかもしれない。


01/06/2004(火)

稽古の前に、カイロに行く。きのうあたりから、また急速に回復した感じがしている。次の予約は1月末。「公演中に何かあったら、すぐ電話してください」と先生が言ってくださり、そう言ってもらっただけで気持ちが楽になっていった。

稽古は、きのうのダメ出しの返しをやって、休憩後、通し。通しのたびに演出助手の大野さんが、「では、第○回通し稽古です」とアナウンスするのが、私には、めずらしくておもしろい。

帰り、ユニクロで衣裳を探すが、ぴったりのものは見つからなかった。

頼まれたチラシのイラストを、なんとなく描いてみたら、なんとなく描けたが、初めてのことでよくわからないので、「大きさとか、内容とか、画像の方式とか、こういうのでいいかどうか全然わからないので、とりあえず一枚描いてみた、という感じです。いかがでしょうか。ダメならまた描きますので、どうしたらいいか教えてください」と一言添えて、メールで送る。


01/05/2004(月)

今年初めてのゴミ収集日。いつもゴミ車が来るのが13:30頃なので、朝出掛けるとき(11時少し前)にゴミ出しをしようと思ったら、きょうに限ってもう収集が終わっているようだった。こんなことなら、朝方出しておけばよかった……。

翻訳の仕事がようやく一段落したので、夜、『かもめ』の何人かの人と飲みに行った。


01/04/2004(日)

壁に向かって逆立ち。『かもめ 第二章』の冒頭です。10月くらいから左手首を痛めているので、いままで私は逆立ちはしないでおいたんだけど、カイロの先生と相談して、新年からやることにしたのです。最初ちょっと勝手が違って、2、3回失敗したけれど、おおむね大丈夫だった。

私の日記の絵を見た友から、チラシのイラストの依頼が来た!


01/03/2004(土)
注意:前田司郎作『びんぼう君 21世紀版』のネタバレがあります。というか、ほとんどあらすじが書いてあります。

『かもめ 第二章』稽古再開。3幕、4幕を稽古する。

夜、五反田団の『新年工場見学会』にジャンカルロさんをお連れする。『びんぼう君』については、一応事前に、
「10歳くらいの少年が、お父さんと二人で暮らしている。貧乏なので、学校でPoor Boyと呼ばれている。きょうは彼の誕生日だ。お父さんはパーティをするから友だちを連れてこいと言った。でも、少年は学校でいじめられっ子で、誕生日だと言ってもきっと友だちが来てくれないので、宿題を一緒に家でやろうと言って連れてくることにした。でも、友だちは来ない。もう一人のいじめられっ子(女子)だけが来る。そして、『普段何して遊んでるの?』、『人形遊び』ということで、3人で人形で遊ぶ。あ、そうそう、少年の両親は別居していて、彼はきょうお母さんに会ってきた。お父さんは、お母さんのところに行けというけれど、少年は、お父さんと一緒にいたいと言う」
くらいの説明をしておいた。後から、いくつかポイントになる言葉を、日本語の音で教えておいてあげればよかったかもしれない、と反省した。「びんぼう君」とか「月」とか「誕生日」とか。

前にも見てるし、自分でもやりたくて稽古だってしてる、だから内容はよく知っている作品なんだけど、見てて最後、お父さんがびんぼう君に、
「おまえ、母ちゃんのとこ行け」
と言ったら涙が出てきた。『かもめ』の稽古中で感情の外壁がいま薄くなっているせいもあると思うけれど。

そして、テルミン&マリンバコンサートでも、揺さぶられ続けだった。次の映画は、観客が笑うとジャンカルロさんが説明を求めてくるので、あんまり集中して見れなかったけれど、端田新菜はぶすっとした顔が本当に絶品だなぁと、それは堪能した。秘密上演の『SM社長』(byつよしとひでき)も、ゆるーい感じが楽しかったです。

家に帰ると、酔っぱらった友から、「…………賀正。…………○○です。…………賀正。…………賀正。(後略)」という留守電が入っていた。


01/02/2004(金)

一日仕事。一歩も外に出なかったので、夜中にコンビニまで歩く。あんまり用事はなかったのだけれど。


01/01/2004(木)

紅白歌合戦をちらちら見た後、仕事していて、気づくと夜が明けていた。そんな年明け。2004年である。1994年に書かれた平田オリザ作『東京ノート』の最初のト書きは、「二〇〇四年五月。」だ。ヨーロッパで戦争が起きていて絵画が日本に避難してくる、日本のパイロットがヨーロッパで任務に就いている(参戦はしていないけれど)、という『東京ノート』の設定に、当時はそれほど現実感がなかったな。

今年私は、少なくとも前半の予定がもうけっこう入っていて、忙しい年になりそうだ。1月に、イタリア人演出家ジャンカルロ・ナンニさんの『かもめ 第二章』に出演する。それが終わったら翌日から、青年団の『東京ノート』若手公演の稽古だ。私は、学芸員串本の役をやる。いままで10年間聞き続けてきた「演説」を、今度は自分が人に聞かせる立場になるわけだ。その後も、本公演の『東京ノート』(香港、オーストラリア)、脚本の翻訳を担当しているエドワード・オールビーの新作等、夏まで盛りだくさんだ。そして、秋以降の予定は、まだまだ未定。


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