つれづれなる日々

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2004年3月の日々

ストレーッチ……!


03/31/2004(水)

うわー、気がつくと3日経っていました。

29日(月)は、昼は若手A、夜は若手Bの稽古。「対決」の組み立てについて、これこれじゃダメと言われて直す。あいだの時間に、稽古場の近くのインドカレーバイキングに行く。そして、そのことをすっかり忘れていて、夜に坦々麺を食べてしまい、日頃こんなに立て続けに辛い物を食さないので、お腹をこわした。

30日(火)は、『山羊』の稽古。今回も、大崎さんの代役をやりつつ、翻訳の直しも入れる。夜、若手B自主稽古に参加。終わってアゴラに戻り、五反田団の照明仕込み。忙しい1日だった。

31日。本日。若手A、若手B稽古。「演説」と「有機農業」に少し演出がつく。このひと月近く使用していた稽古場は、きょうが最後。掃除して、撤収。明日からはアゴラで稽古だ。


03/28/2004(日)

『山羊』の稽古。3場と1場。大崎さんがお休みなので、その役を代役で読む。自分の書いた台詞なんだけど、読みやすいところと読みにくいところがあった。

夜、家の近くの、新しい居酒屋を開拓。若い人が元気に働いている、なかなかよいお店。ただ、ゴーヤーチャンプルーのゴーヤーの苦みが抜いてあったのは、私にはちょっと物足りなかった(塩水に30分ほど漬けるとのこと)。


03/27/2004(土)

Aチームの自主稽古に出てから、『山羊』の稽古に行く。1場の、男性二人のシーン。私が稽古に行くのは3日ぶり。だいぶテンポがよくなっていて、驚く。


03/26/2004(金)

自主稽古。昼はAチーム、夜はBチーム。どっちのチームでどのシーンを稽古したのか、なんだかもうよくわからなくなってきた。AとBの間の時間に、商店街を歩く。巨大ビルの地下にかわいい服屋さんがたくさん入っているところを発見し、あちこち夢中で見てまわる。開店セールのスカートを買う。「こういうの、1枚あると便利ですよね」とお店の人は言うけれど、実は似たようなのをすでに2枚持っている。でも買っちゃった。好きだから。安かったし。


03/25/2004(木)

きょうの若手公演稽古で、串本の「演説」を初めて演出に見てもらった。ここは登場人物が多いのでいままでなかなか人がそろわず、稽古できなくて、自主稽古ばかり繰り返していた、自分としては不安なシーンだった。きょう、AチームでもBチームでもそのシーンをやっと稽古できて、直すところは直されて、方向性も明確になってきて、よかった。


03/24/2004(水)

本公演『東京ノート』の、オーストラリアから帰ってきた荷物を、倉庫にて荷下ろし。途中で早退して、若手『東京ノート』稽古。たしかに演出に見てもらうのは久しぶりだった。でも、だからって手が冷たくなるほど緊張してしまうなんて、それこそ何年俳優をやっているんだ、私は! 反省。


03/23/2004(火)

カイロに行く。以前、腰が痛くなったときも右手首が痛くなったときも2、3回で良くなったのに、今回の左手首はずいぶん時間がかかっている。もうだいぶ治ってきたけれど。

『山羊』は、2場、3場の抜き稽古の後、とめながらほぼ通した。日本語には、英語の4文字言葉みたいな、明確に汚い言葉というのがあまりない。そのかわり、普通の言葉が、時と場合によってすんごい汚い言葉になったりする。そして、それがどの程度ひどい言い方なのか、人によって受け取り方が大きくちがうみたいだ。なんか思わせぶりな言い方ですみません。ネタバレしないようにしてきょうの稽古場でのことを書くと、こんな感じ。

帰りは、近所の友人に車で送ってもらった。速い! ちょっと酔ってしまったけど、この速さはけっこう魅力的だ。

そして、友からのメールに勇気づけられる。


03/22/2004(月)

日中、さらに『山羊』の翻訳。変更部分をメールで連絡。

夜、『山羊』稽古。引き続き2場と3場。2場は、翻訳の直しももうだいたい落ち着いた。


03/21/2004(日)

『山羊』の翻訳の、「宿題」になっていた部分を、あれこれあれこれあれこれあれこれ考えて一日過ごす。まず、何が問題なのかリストアップし、それから、1つひとつ解決方法を探す。

いままで忙しくしていた日々だって、細切れで時間はあったんだけど、やはりこうやってある程度長い時間翻訳と向き合わないと、どうもうまくいかない。ギア・チェンジに時間がかかるようだ。


03/20/2004(土)

久々にオフと思ったら、こういう日に限って雨降りだ。まぁ、家にいるんだから雨降りでもいいんだけど、寒くて気持ちまでちぢこまりがち。

団祭りの羊団『石なんか投げないで』観劇。1970年代後半の劇団四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』がきっかけでよく演劇を見に行くようになった私にとっては、なんだかなつかしいような舞台装置だった。チラシにイェーツの詩が書かれていた("don't fling stones at me"(「石なんか投げないで」)というフレーズが出てくる)。


03/19/2004(金)

『山羊』は、1場の冒頭と、2場。人名の呼び方が一カ所問題になったが、皆その人なりの意見があって、なかなか折り合えず。しかし最後には、出し合ったアイディアで、解決に至る。

若手B(自主稽古)は、家族が大勢出てくるシーン。欠席の「長男」の台詞を代わりに読んでくれる人はお願いしてあったのだけど、「三女」の代役をお願いしていた人も体調不良で欠席になり、じゃぁしょうがないから一人の人に3役(長男、三女、弁護士)読んでもらって進めようかとしていたら、三男が「自分が登場するまで弁護士の役を読むよ」と言ってくれて、私も「登場するまで三女の役を読むよ」ということになって、なんとか予定通りに進めることができた。アクシデントはないにこしたことはないが、こういう「ちょっとした危機をともに乗り越えた」みたいなことがあると、なんか和気あいあいとしてくるような気がする。なかよくなることが演劇的によい結果を生むことに必ずしも直結しない、ということは忘れちゃだめだけど、和気あいあいもいいもんだな、と思った。そんな大したことでもないか……。

明日は、あまりにもNGの人が多いので、若手自主稽古はお休みにしようということになった。


03/18/2004(木)

若手B稽古。Bチームは、1場はまだ演出に1度も見てもらってなかった。きょう、冒頭からやって2場の最初のほうまで。

先週アメリカのコネティカット州の大学で、英語の『東京ノート』初演があったんだけど、その演出をした先生から、当日パンフレットと、「こういうのは気持ちだから」と『東京ノート』の台詞を引用したカードを添えてブローチが送られてきた。戯曲の内容に関する質問にお答えしたりしてお手伝いしたことに対して。

夜、ク・ナウカ『ウチハソバヤジャナイ』観劇。


03/17/2004(水)

連日『山羊』と若手『東京ノート』で、ちょっと疲れてきているんだと思う。どうも思考がネガティブな方向に行きがちだ。でも、友に、愚痴というか話をしたら、問題を少し客観的に見られて、あぁ、なんだそれだけのことか、じゃぁこうすればいいんじゃないか、というような建設的な気持ちになれてきた。話を聞いてくれてありがとう、友よ。


03/16/2004(火)

若手A稽古。私の台詞が、ちょっと変わった。相手を呼ぶ、呼びかけの言葉。こういうところは、相手と自分の年齢・性別・親しさ等によって、同じ言葉でもしっくりきたりこなかったりする部分が大きい。私が今回やっている学芸員はもともとは男性の役なので、少しニュアンスがちがったんだと思う。

衣裳は、私はもうすでに演出からOKをもらってあったんだけど、ちがうのにしたくて、きょうまた見てもらった。新しいほうも、OKが出た。

夜は、Bの自主稽古。


03/15/2004(月)

『山羊』の稽古。いまは、おおまかに立ち位置、動きを決めていっているところだ。疑問点は翻訳の過程でバリーに聞き尽くしたと思っていたのに、稽古を見て台詞を聞いていると、言葉や意味について、新たな疑問が出てくる。少なくともすべてのシーンを一通り稽古するまでは稽古場になるべく行くようにしようと、前から思ってはいたけれど、その必要性を、きょう再認識した。

夜は、若手『東京ノート』B自主稽古。きょうは人が揃い、いろいろなシーンを練習できた。

帰りの電車で、吊革につかまった私の背中にゴンゴンぶつかってくる人がいて、どうも立ったまま眠りそうになっているようだった。途中駅で席があき、座った私の前に立ったその人は、吊革をつかんだまま、明らかに眠っている。あれ、なんか、妊婦さんみたい。いまにもガクッと転倒しそうなので、立ち上がり、腕をトントンとたたいて、
「寝てますよ。座りましょう」
と席を譲ったら、もう、すぐに、イビキをかいて眠っていた。疲れていたんだなぁ。


03/14/2004(日)

リンダ・スー・パーク著『モギ――ちいさな焼きもの師』という本のことを、児童文学のメーリングリストで知った。いろいろと調べてみると、著者はイリノイ出身で、両親が韓国からの移民とのこと。日本で翻訳出版されいているのはこの一冊だけのようだけど、日本占領下の韓国を描いた児童書などの著作があり、興味をひかれる。

『山羊』の稽古。きょうは、2場。なんとなく、俳優と私と演出陣との呼吸が合ってきたというか、お互いにものを言いやすい雰囲気になってきたように思う。翻訳の問題は、いくつか解決した一方、いくつか新しく「宿題」として持ち帰った。


03/13/2004(土)

若手『東京ノート』用のキルトが完成。布の色柄の取り合わせでまず平面的な「絵」を描き、キルティング(運針)を施すことによって三次元的な「テクスチャー」(質感)を加味する――ミシンキルティングのおもしろさが、少しわかってきたような気がする。楽しい。

髪は、それでも友だちに言わせると「茶髪」の範囲内のようなので(主観的には、日常性を逸脱した色のように見えている)、ちょっとしばらくこのまま様子を見てみようかと思う。

『東京ノート』で、自主稽古をしていて、なんでこの状況でこういうことを言うのか腑に落ちない台詞があって、昔の本公演のビデオを見てみた。なるほどなるほど。これは、私一人でどうにかなる問題ではないことがわかった。でも、演出がつけばすぐ解決する。安心した。(いままで、このシーンは、まだ、自主稽古しかしていない)


03/12/2004(金)

「髪の色を少し抜いてもいい?」
と聞いたら演出家がOKしたので、ブリーチしてみた。ら、少しどころじゃなく明るい髪になってしまって、どうしたものやら……。ま、一晩寝てから考えよう。


03/11/2004(木)

『山羊』の稽古に行く。翻訳者として。きょうは、3場。男性3人のシーンだ。この作品は、とんでもないことが起こって感情を爆発させる人たちの話なので、ほとんどの部分が、「日常会話」とはちょっとちがう。台詞が言いにくいとき、そういう非日常的な状況の中の非日常な台詞だから当然そうなのか、翻訳に問題があるのか、解釈がまちがっているのか、稽古の現場で、みんなで、見極めて対処していっている。いま、そういう段階。


03/10/2004(水)

きょうは、『おやすまなさい』の英訳作業をした。作者の前田司郎くんと、翻訳者の私と、二人で、1つひとつの台詞を検討しながらやっていった。「ええ」と書かれているのが、肯定なのか疑問なのかというような大まかなところは読めば前後関係からわかるけれど、もうこの話は終わりにしたいと思っているんだとか、当然「そうだね」と言ってくれると思ったのにどうしてちがう方向に話を持っていくんだという非難だとか、それぞれのニュアンスを作者が隣にいていちいち説明してくれる。これこれこういうことなんだけどそれはあんまり重要じゃないからこっちのことが伝わるならそっちはなしでもいいとか、そういう判断も、その場でしてくれる。こんなやり方ははじめてだった。

これは、司郎くんが提案した方法だ。前に、どういうふうに進めようかということを話したときに、普通はどうかと聞かれて、私(翻訳者)が翻訳して、まぁだいたい1回ざっと訳してみたあたりで、わからないところがあったら作者に聞いて修正を加える、と説明したら、もっと細かくやりとりをしながら進めたいといってこの方法を提案され、とにかくまずじゃあ1回やってみようということにしたというわけである。私はでも、どっちかが「うーん」と考え込んじゃったりして時間的なロスが大きいんじゃないかとちょっと心配していたんだけど、ぜんぜんそんなことはなくて、なかなか効率がよかったと思う。質問があればお互いすぐ聞けるし、そうやって質問しあっていると相手が何を大事にしているのかわかってくるから、だんだん、なんていうんだろ、「息が合って」きて、作業効率が上がっていくと思う。今後の作業が楽しみだ。


03/09/2004(火)

歯医者に行く。ちゃんと歯磨きができていなくて、歯茎の状態もあまりよくないと言われてしまった。歯磨き、がんばろう。

『山羊』の読み合わせ。もともとは、最終的にキャスティングを決めるためにきょう読み稽古をするということだったんだけど、もうキャスティングが決まったので、きょうはまぁ、稽古の始まり、といったところ。

東京ノートのキルト、やはり、一部やり直した。最初目指したアートでシックな感じよりもちょっとポップでカラフル。さてどんなキルティング(運針の縫い目)を入れようか。


03/08/2004(月)

秘密プロジェクトのミーティング。秘密、ということはないんだけれど、まだ詳細が決まらないので。

せっかく新宿まで来たので、紀伊国屋書店に寄る。たまには実際に本の前に立つのもいいね(普段、本は、通販で買ってしまうので)。

夜、桜美林大学に、蜻蛉玉の公演を見に行った。

洗顔して、なんか泡が立たないなぁと思ってもう一回洗顔して、はっとそのチューブを見たらそれは、歯磨き粉で、その後水を流しても流しても、顔がすーすーした。以前、この洗顔フォームと歯磨き粉と、形も方式もすごい似てて、日本語の字の読めない人とか、どっちがどっちかわかんないだろうなぁ、と思ったことはあるけれど、まさか自分がまちがえるとは、ビックリだ。


03/07/2004(日)

きょうは、どこへも出掛ける予定のない日。テレビを見たり、夕方まで眠ったり。海外公演、タタキ(装置作成)、翻訳の仕事の締切、旅公演、と続いたので、疲れがたまっていたと思う。

そして夜は、新しいキルト作品にとりかかる。『東京ノート』若手公演の装置プランについて舞台美術家に聞いたら、あちこちに作品が展示されているロビー(美術館の)とのことだったので、テキスタイルアートを展示させてもらいたいとお願いしたのだ。トップが大体完成。でもまだなんとなくバランスが悪いような気がする。


03/06/2004(土)

飛ぶ劇場の泊さんが演出して、ク・ナウカの中野さんが出演している公演を、池袋に見に行く。他の出演者は、桃園会の江口さんと飛ぶ劇場の寺田くん。中野さんが、つげ義春のマンガの登場人物のようだった。

ちょっとまだ話がしたかったので、『山羊』のスタッフミーティングに出席したあと池袋に戻り、泊さんたちと飲んだ。


03/05/2004(金)

午前中、移動。午後、倉庫にて荷下ろし。

アマゾンに注文したQuotable Star Trek(スタートレック引用句集)が届いていた。「愛」とか「信頼」とかカテゴリーごとに分けてあるんだけど、その中での並べ方がシリーズの時系列順(TOS→TNG→DS9→VGR)なのがちょっとつまらなく感じた。いろんなシリーズのいろんなキャラクターの言葉がランダムに並んでいるほうが、読んで楽しいと思う。

ゆうべあまり寝てないせいか、少しふらふらしたけど、昼寝をして、復活。夜アゴラにて、若手公演自主稽古。


03/04/2004(木)

1時半ゲネ。7時本番。その前後、楽屋で「絵しりとり」に興じる。

終演後、割緞帳を閉めて、その前では平田オリザのアフタートーク、後ろではさっそく撤収作業。1時間半ほどで終了し、近くのお店で打ち上げ。

この座組みでの『東京ノート』は、きょうで最後(次の再演時は、オーディションでキャスティングが決まる)。ということもあり、けっこうみんな、よく語り、よく飲んでいた。と思う。


03/03/2004(水)

6時起床。お風呂に入ったりゆうべやり残した荷造りをしたりして、7時に家を出る。愛知県知立(ちりゅう)市で、『東京ノート』の公演をするのだ。

10時仕込み開始。その時点で「照明班に入ってください」と言われ、いきなり照明吊り込みに参加。気持ちとして「いきなり言われて、仕込み図だっていまはじめて見るんだから、多少もたついたってしょうがないよね」という開き直りみたいなのがあったのが建設的な方向にうまく働いたみたいで、あまり過度に緊張せず、びくつかないでやれて、なかなかおもしろい経験だった。

仕込みが終了し、6時半から場当たり。日本国内でこの(海外公演用の)セットでやるのって、なんだか不思議な感じがした。ここがどこなのかちょっとわからなくなるような。9時終了。

いえの人と、飲みに行く。入口で煙草のことを聞かれてビックリ。その居酒屋には、禁煙席があった! 飲みに行って服とか髪とかタバコ臭くなるのはしかたないと思ってたけど、禁煙席という手があるとは! これはいいアイディアだと思った。大人数で行く場合はむずかしいだろうけれど。


03/02/2004(火)

『山羊―シルビアってだれ?―』の、演出助手の2人と私と、3人で翻訳ミーティング。この2人はそれぞれ自分の公演もおこなっている劇作家・演出家でもある。私は私で、持てる力のすべてを駆使してこの脚本を翻訳したわけだけど、他の人から見てどうなのか、指摘してもらうのはたいへんありがたい。

昼から、若手A稽古。あまり人が集まらない。若手自主企画の稽古で来れない人、寝坊した人など。衣裳の候補を演出に見せて、一応のOKをもらう。他の人とのバランスもあるから、まだわからないと思っているけど。

夕方、本公演のほうの『東京ノート』の積み込み作業があり、倉庫へ。

のどの調子がだいぶよくなってきたので飲みたくなり、いえの人と、久しぶりに飲みに行く。


03/01/2004(月)

熱がないので高をくくっていたけど、先週の日曜日からもう一週間、のどが痛くて、咳が出始めるととまらない。ゆうべは、息を吸うたびに気管支あたりが意識されて、「普通に無意識に呼吸をすることが、もうこれからずっとできなくなっちゃうんじゃないだろうか」と不安で、なかなか眠れないようなことになってしまった。

それで、きょう、近所の病院に行った。のどが少し赤いですね、と、風邪薬と抗生物質を出してくれた。あと、うがい薬。普段あまり薬というものを飲まないせいなのか、もうちょうど治る時期になっていたのか、病院に行って安心したのか、とにかく、家に帰って薬を飲んだら夕方にはだいぶ楽になった。

明日の朝締切の仕事を夜中までかかって仕上げて、さぁ送ろうと思ったらFAXが送れない。なにが悪いんだろう。


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