つれづれなる日々

2002年10月の日々

歯痛を冷やす(ダブリン) パブにて(ダブリン) ナンニさんと再会(ローマ)
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10/31/2002(木)

朝から劇場でバラシ。2時間ほどで終了。日本に持って帰る荷物をホテルに運び、ミーティングをして解散。次の集合は明日の朝、空港に向かうときだ。

昼食は、レストランのテラスで、隣のテーブルの人が食べているものがおいしそうだったので、ウェイターさんにあれは何と教えてもらって、それを注文した。羊肉をドライフルーツと一緒に煮込んだもので、クスクスがついてくる。予想どおり、おいしかった。


10/30/2002(水)

ちょっと冒険的なデザインのスカートと、すごく無難ではきやすいパンツを購入。

欧州ツアーオーラス。なるべく普段と変わらないように、へらへらしてやろうと努める。最後に暗転して拍手が来たときは泣きそうだったけど、ここで涙を見せてはあまりにも安易だ、と思ってこらえる。

終演後、劇場内でパーティ。大学だからか、「みんな関係者」みたいな感じで、ものすごく大勢の人が残って、ワインや水やジュースを飲んで話す。日本語学科の学生さんが、はにかみながら一所懸命日本語で話しかけてくる。日本語の得意な人も多かったし、日本人の人もいた。
「(劇中の女子大生のような)最近の若い人の話し方は、私にはまねできない」
「(劇中の弟の嫁のような)あんなに立居振舞の控えめな、一歩後ろからついていく、みたいな感じの人は、いまの30代の日本人女性には、いないでしょう」
というような感想を聞くと、なるほどと思う半面、日本を離れているとその人の中の「日本」のイメージはやはりどうしても硬直したものになるのかなぁというふうなことも考えた。


10/29/2002(火)

脚がつって、目がさめる。このツアー中、脚がつったの、3回め。普段の生活ではほとんどつらないんだけど。きのうは劇場への近道をまだ知らなくて、ホテルから劇場まで30分くらい歩いたから、そのせいだと思う。

いまいるホテルは、ウィークリーマンションみたいなところで、部屋にミニキッチンがついている。1カ月主に外食だったから、おとといから多くの人が嬉々として食材を買い込み自炊しているようだ。私は、
「食器洗い洗剤を自分で買ってこなきゃなんない」
とか、
「ゴミも地下まで捨てにいかないといけない」
というのがめんどくさくて、きのうまではお湯も沸かさなかったんだけど、外食はお金がかかるし、最近ずっと食べ過ぎてるし、洗剤は1本買った人から分けてもらえることになったし、ウチも作って食べることにした。

夕方は劇場で軽食をとるから、第一食と第三食を自炊することにして、家の人と買い物に行く。パスタとソースを二食分買ったつもりが、「スパゲッティボロネーズ」と書かれた缶をあけてみたら、ソースだけでなくスパゲッティも入っていた! 給食で食缶にどどーんと入っていたスパゲッティミートソースみたい。イタリア人はおこるだろうなぁなどと思いつつ、食事用にはもう一つのソースを使って、このボロネーズは夜にでもスープにして食べることにする。

4時開演でゲネ。現地の関係者が10人近く観ていたようで、笑い等の反応があって、お客さんのいる本番のようだった。8時半開演で本番初日。この劇場の今シーズン開幕の演目のため、シーズンパスの手続きをする人が多く、その上新学期(ここはプロバンス大学内の劇場である)だから、
「久しぶり、元気?」
という挨拶もしたりしていて入場に時間がかかっているとのことで、開演が10分以上押す。開演前からすでに俳優が舞台上に座っていたり通り過ぎていったりという演技は始まっているので、演出家が袖に来て、いつもより何分くらい長く座っていろとか、次に出る人に、2分後ではなく3分後に出ろとか、指示を出していた。

パリの客席は、芝居の前半は、もちろん真剣に集中して観ていてくれるんだけど、
「お手並み拝見」
的な空気があったように思うんだけど、きょうのお客さんの反応は、最初から暖かかった。


10/28/2002(月)

朝、荷降ろしがすむと、ダブリンから各地をまわってここまで装置等を運んでくれたトラック運転手のロブさんは、アイルランドへ帰っていった。2、3日ゆっくりしたいけど、帰ったらまたすぐ仕事がある、あんたたちと同じで、忙しいときは忙しいし仕事がないときは仕事がない、と言っていた。

劇場の近く(といっても徒歩10分くらい)のコンビニ(といっても生鮮食品も売っている。そして夜9時には閉まってしまう)で、フェルメールの「Milkmaid」(日本語ではなんていうんだろ。大きな水差しみたいなのから、テーブル上のボウルみたいなのにミルクをついでる女の人の絵)がラベルに描かれているライスプディングを発見。メーカーは、ネスレ。パリ在住の友によると、フランスではけっこう有名なブランドだそうで、フランス人は、「フェルメール」と聞くとまず、
「あぁ、あの、ヨーグルトとかについてるやつ」
と思うらしい。

仕込みの後、場当たりまで終わらせて、8時過ぎ終了。その後数人で夕飯を食べに行ったお店は、どうも魚介類が得意なところらしかったんだけど、なぜか私は鴨、家の人はステーキを頼んで、他の人に、
「何やってんの」
と言われる。きのうはアイリッシュパブだったし、なんかもう名物とか関係なく、好きなものを食べている。


10/27/2002(日)

パリからマルセイユ経由で、次の公演地エクス・アン・プロバンスへ。マルセイユの空港に降りると、空が夏のようなきれいな空で、連日雨だったパリから来たもんだからみんなもうなんだかバカンスのような浮かれた気分になる。

きょうの、我が家の夕食は、アイリッシュパブでパスタ。何をやってるんだか。でも、おいしかった、アイリッシュビール。


10/26/2002(土)

ピカソ美術館に行く。こぢんまりした建物なので2階→1階と展示を見ても2時間くらいかな、と思ったら、さらに地下に展示室があり、作品の数に圧倒された。たとえばパリに3日間いるんだったら3日とも午前中はピカソ美術館に行く、ってくらいかよってじっくり見たい美術館だ。

そして、黒い服をホントに買う。ブラウスと、パンツ。

パリ公演最終日は、客席満員。きょうのお客さんは、笑いすぎるくらい笑っていた。「われらヒーロー」を一緒にやったクレアさんが観に来てくれていて、終演後、ロビーで話す。3年前に「われらヒーロー」で会ったときには、お茶目でかわいい感じだったクレアさんが、なんだか落ち着いたステキなお姉さんになっていた。

きょうもまた、ホテルの近くのお店で夕食。手ごろでおいしくて気楽なので、どうも毎日だれかしら行っていたようだ。


10/25/2002(金)

お昼に誘っていただいて、約束の時間に余裕で間に合う時間にホテルを出たのだが、乗った地下鉄が2駅めと3駅めのあいだでとまって動かなくなり、車内の電気も消えて、明かりが点いたと思ったら車両が、来た方向に戻り始め、駅に着いたら皆ぞろぞろと降りていく。車内アナウンスはあったけど、フランス語だからぜんぜん不明。近くにいた女の子に、
「何が起こっているの?」
と英語で聞いて教えてもらった。この線はとまったから、他の方法で目的地に向かわなきゃいけない、他の線は動いているとのこと。一人だったら行き着けなかったと思うけど、家の人が路線を調べ、10分遅れでなんとかたどり着く。

ロンドンから公演を観に来てくれた友は、さっそくパリでジャンパースカートを買って着ていた。買い物心をくすぐるよ、パリは。


10/24/2002(木)

昼からルーブル美術館に行く。まずはフェルメールをと、オランダ絵画の辺りから見始めるが、ついついあの絵もこの絵も見てしまって、フェルメールにたどりつくまで一時間以上かかってしまった。なんとなく興味ひかれると、メツーという画家の作品であることが多かった。そして行きついたフェルメールの額にはガラスがはまっていて、目の前にあるという感じがあまりなくて残念だった。

とにかくこれでは時間がいくらあっても足りないので、後は、見たいものを決めておいてそこだけ回る作戦に切りかえ、サモトラケのニケ、ミロのビーナス、ミケランジェロの彫刻、モナリザを目指す。ニケは、発掘した破片をつぎはぎしたもので、雄大は雄大だけど、全体としての躍動感のようなものは私には感じられなかった。ミロのビーナスの前では、観光客が入れかわり立ちかわり記念写真を撮っていて、じっくり見ている人はあまりいないようだった。この像は、1820年からルーブルにある、と説明が書いてあった。そんな長い年月をこんな観光客たちに囲まれて過ごしてきているのかと思うと、ミロのビーナスがかわいそうになって、少し涙が出た。モナリザの前に行くと、ミロのビーナスどころではない大群衆が押し合いへし合いして、あろうことかフラッシュをバンバンたいて写真を撮っている。ビデオやデジカメで撮影している人もたくさんいる。美術館に来て自分の目で見ないで写真を撮るってなんなのか。
「あんたたち、ちゃんと見なさい!」
と心の中で私は叫んでいた。

と、私にとっては怒りのルーブルであった。しかし、以前ニューヨークとフィラデルフィアでゴッホを見たときも思ったんだけど、そしてきっとすごく当たり前のことなんだけど、美術館に行って本物を見て初めて人は絵と「出合う」んだということを、今回も思った。ジョコンダ夫人の表情が、あんなにいたずらっぽくていきいきしている(E.L.カニグズバーグが「ジョコンダ夫人の肖像」で書いているとおりだった)ことを、きょう初めて知った。


10/23/2002(水)

日中、女子3人で買い物に行く。私は、靴とナイロンバッグを購入。赤い物を買いすぎたのでそれにあわせるために次は黒い服を買わなきゃならない(65%くらい冗談です)と言ったら、家の人が、
「たくさん買ったからこれで終わり、とはならないの?」
と驚愕していた。

パリ公演2日めの客席は、このツアーで一番の静かさだったが、真剣に見ていてくれる感じは伝わってきた。終演後お客様から、
「いわゆる『演劇』っぽさがないが、あのような自然な演技は、自分自身の地で演じているのか、それとも自分とはまったく別人として演じているのか」
という質問を受けた。劇作家の書いた状況や台詞を演じているからまったくの「地」ということもないけど、自分と登場人物と何が同じで何がちがって何が似ているかということを手掛かりにして演技を考えていくからまったく「別人」というわけでもない、ということを説明しようとしたんだけど、うまく説明できたかどうか自信がない。でも、いろいろと話したり説明したりすることによって自分の考え自体がクリアになってくる面もあるので、こういう質問とかは大歓迎。


10/22/2002(火)

パリ初日。カーテンコールで客席を見たら、以前「われらヒーロー」で共演したジャン・シャルルが、最前列中央で拍手していた。その笑顔を見ると、きょうの公演を観てもらった嬉しさと再会したなつかしさで涙が出そうになった。

終演後、ロビーで軽くレセプションがあり、観客の方たちと話した。2000年にフレデリック・フィスバックと平田オリザが共同演出で上演したフランス語版「東京ノート」のキャストの人たちも何人か来ていて(ジャン・シャルルも、そうだ)、同じ役の日本人の俳優と挨拶をしたりしていた。私と同じ役は、「われらヒーロー」に出演していたクレアがやったんだけど、彼女は土曜日に観にくるそうだ。

最寄の地下鉄駅でホームを歩いていたら、ベンチに座っていた二人連れの人が私の顔を見て、はっとした顔をして、
「メルシー」
と言った。あぁ、「東京ノート」を観てくれたんだなあと思い、
「メルシー」
と応えた。2000年の北米ツアーでも今回のヨーロッパツアーでも、終演後にロビーとか劇場周辺で観客の人が笑顔で接してくれる。習慣といえば習慣なんだろうし、言葉が通じればまたちょっとちがうんだろうけど、
「いい公演をありがとう」
「観に来てくれてありがとう」
という笑顔のやりとりなんだと思って、嬉しく感じている。


10/21/2002(月)

このツアー中、下着とかの小物は部屋で手洗いしているんだけど、パリに来たとたん手が荒れてがさがさしてきた。何がちがうんだろ。水か?

エッフェル塔の近くの劇場で、朝から夜まで、公演の準備。朝、
「茶色いな。シックだな」
と思ったエッフェル塔は、帰る頃にはライトアップされて、金と銀の光に包まれて夢のようにきれいだった。


10/20/2002(日)

朝、チャーターバスでエーグルからジュネーブに向かう途中、レマン湖畔のフレディの像が見えた。あの像の足元には、Lover of Life Singer of Songs(人生を愛し、歌を歌った)と刻まれていたなぁ(記憶に頼って書いています。まちがっているかもしれません)。

スイスで時計を買う!と言っていたんだけどいままでなかなか機会がなく、最後のジュネーブ空港で見て回る。スウォッチ以外は免税店だって高くて買えないし、スウォッチはスウォッチでなかなか気に入ったデザインがなく、いくつか試しに腕にはめてみたりもしたんだけど、

  1. 安物のプラスチックビーズをジャラジャラつけてる感じがポップで可愛いけど、チープに惜しみなく身につけるには、私にはこの値段は高いなぁ
  2. ベルトの色のとりあわせがとってもステキだけど、これ、布でしょ? 実用的ではないよね
  3. 透き通る赤がきれいだと思ったのに、肌色が透けて茶色く見えるよ、ガッカリ

という感じで、もう一つピンとこない。もういいやとあきらめていたら、搭乗ゲート直前の店で、家の人が、
「こういうのがいいんじゃないの?」
と見せてくれた時計が気に入って、あっさり購入。ポイントは、シンプルなデザインと、文字盤の見やすさ(数字が書いてある、長い針と短い針が見分けやすい)。

パリに到着した直後、空港で不審物が発見されたとかで、ここは通っちゃダメだ、あっちに行け、こっちに行けといろいろ言われて困惑するが、爆発したりという大変な事態には遭遇せずにすむ。

エーグルはステキなところだったが、8時開演で公演をして終わるとレストランはみんな閉まっていて食事ができないし、スーパーなども6時半とかに閉まってしまうので、夜がさびしかった。パリに来て、きょうは日曜日なので閉まっているところが多かったけどそれでも、夜、あちこちのレストランに明かりがついていて人々がお酒を飲んだり食事をしたりしているのが見えて、ホッとした気持ちになった。なんというか、気が楽になったという感じ。大都会の便利さに慣れているってことなんだろうと思う。

ホテルの部屋で、メール送受信に成功。さらに気が楽になる。


10/19/2002(土)

日本に帰る夢を見て、なんだかめそめそする。ホームシックっぽくて、杉並からヨーロッパに通いたいとか言い出す。でも実は原因は、通信環境の悪さのようだ。

エーグルのいま滞在しているホテルでは部屋からインターネットにつなげなくて、ロビーで電話回線を貸してもらうことはできるんだけど私のノートパソコンは内蔵電池が死んじゃっているからまずコンセントにつながないと立ち上がらなくて、ロビーでそういう作業をながながとやるのがいやだからホテルではつなげなくて、劇場でしかつなげなくて、劇場では劇場の方の好意でつながせてもらっていると思うと気がとがめて、メールチェックと必要なメールの送信くらいでさっさとやめるようにしていた。そのせいで、エーグルに来てから、インターネット経由で外部の人とコミュニケーションをとる量も頻度も少なくなって、一緒にツアーに来ている人としか話をしてないような閉塞感を感じて、それでまいっていたらしい。

エーグル千秋楽。カーテンコール4回。ロビーのバーではお客さんが飲んでいる中、私たちはバラシ。11時頃終了し、劇場スタッフの方たちとロビーで飲む。


10/18/2002(金)

5時に劇場に集合するまでフリーなので、きょうは、近くのモントルーまで電車で出掛けた。目的は、フレディ・マーキュリー像。レマン湖畔にあるという。駅から湖畔に出ると、もうすぐにフレディの像まで行き着いて、記念に写真を撮る。その後、レストランに入り、メニューを見てもフランス語でよくわからないんだけど、
「この、きょうの定食って、何?」
「魚」
「じゃ、アントレなし、ってやつでお願いします」
「スープ、サラダ、魚、デザート、になりますけど」
「はい、それで」
って頼んだら、淡水魚が一匹まるごと出てきて、おいしかった。
「この湖でとれた魚です」
とのこと。


10/17/2002(木)

エーグル初日。ほぼ満席。こまかいところでいろいろとお客さんの反応があるのが興味深かった。劇場スタッフのレゴさんによると、木曜日よりも、翌日仕事のない金曜・土曜のほうがお客さんが入るそうだ。終演後、劇場のバーで飲んでいるお客さんたちと話した。観劇の後、ビールを買ったりワインを買ったりして飲みながら芝居の話をできる場があるって、いいなぁ。

ダブリンからこのツアーのトラック運転手をしてくれているロブさんも、きょうの公演を見てくれた。ロブさんはダブリンの人だから、日本語の公演をフランス語字幕つきで見るのは「大変だった」そうだけれど、よかった、おもしろかったと言ってくれた。


10/16/2002(水)

劇場で電話線を借りて、3日ぶりにメールを読む。

場当たりの続き。そして、夜、ゲネプロ。小さい声はホントに小さくても大丈夫で、あぁこんなに細かい声の表情も観てもらえるんだと思うと嬉しかった。


10/15/2002(火)

きょうからこの旅公演も後半戦に入った。エーグルの劇場はロビーのバーにキッチンがあって煮炊きができるので、きょうのお昼は軽く自炊ということになり、パンとはさむ具を用意した。ハムなどのほか、野菜を切ったりポテトサラダやスープを作ったり。私はポテトサラダを担当した。自分の作ったものを食べるのって、半月以上ぶりだった。

仕込みが終わって、夕方から場当たり。「東京ノート」をフランス語に訳してくださったローズマリーさんが、字幕の監修、修正のためきのうから合流している。きょうの稽古は2場の途中までだったけれど、終わったあとでローズマリーさんに、とてもよかったと誉められた。

稽古の後、劇団員と劇場の方たちとで、チーズフォンデュを食べに行った。ちぎったパンをフォークに刺して、どろどろに溶けてるチーズをからめて、食べる。という料理だということは知っていたけれど、ホントにそれだけなのね。パンとチーズだけ。それと、ワイン。それだけだけど、おいしい。パンをフォークに刺すのに力が余って指まで刺して流血(ちょっとだけ)し、お店の人にバンドエイドを持ってきましょうかと心配されたのはちょっと恥ずかしかった。


10/14/2002(月)

ローマから飛行機でジュネーブへ。そこからバスで次の公演地エーグルに向かう。窓の外は、霧雨の中、赤や黄色に色づいた木々と、常緑樹の緑と、遠くの雪でまだらになった山々とで、写真に撮ったらウソっぽくなってしまいそうなくらいきれいな景色だった。

テアトル・ドゥ・ムーランヌフは、古い水車小屋を改造して作った、できたばかりの小さな劇場で、劇場内部はアゴラより大きくスズナリより小さいという感じ。バーカウンターのあるすてきなロビーがあって、テーブルの脚をよく見ると製粉機械の部品が脚として使われていたりして、手作り感とかっこよさがうまく調和している。

みんなで劇場を見た後、装置班は床のバミリ、照明班は照明の吊り込みをして解散。夕食は近くで中華。さっぱりした麻婆豆腐が、白ご飯にあっておいしかった。

ホテルの部屋からは、インターネットに繋げないらしい。フロントで電話線を借りて繋ぐことはできるようだけど、私のノートは内蔵電池が死んじゃっているので、まずロビーで電源を繋いで立ち上げてそれから電話線を借りないといけないという面倒くささなので、たぶんこの一週間はメールをぜんぜん読まないで過ごすことになると思う。もともとこのツアー中はメール環境がどうなるかぜんぜんわからないと断って家を出てきているので、さほど問題はないと思うけれど。


10/13/2002(日)

ローマ最後の一日は、紺色に近い青空のすごくいい天気。きょうはオフで、フォロロマーノとコロッセオに行った。

夜、きのうまで「東京ノート」をやっていた劇場に、チュニジアの歌と踊りを観にいった。開演前の客席でどうもこちらをちらちら見ているなぁと思った人が立って来て、
「きのう公演観ました。よかったです」
と言ってまた席に戻っていった。この劇場の、常連のお客さんらしかった。ナンニさんの「かもめ」の日本公演に出演していた俳優さんも来ていて、公演おめでとうとか言ってくれた。

チュニジアの公演は、踊りが印象的だった。


10/12/2002(土)

きのうたくさん歩いて疲れたので、きょうは昼間はホテルでだらだら過ごす。

劇場の近くのテイクアウトのできるピザ屋さんに夕食を買いに行ったら、きのう見たよ、よかったよ、と言われた。もう一人の店員さんが、私はきょう行く、と言っていた。

きのう、おとといに比べたら静かな客席だったけれど、カーテンコールの拍手はきょうが一番鳴り止まなかった。バラシの後、深夜に解散。ホテルに戻って部屋でビール。

メールチェックしたら、友が、ダブリンのパブで撮った写真を送ってくれていた。いい感じ。ありがとう!


10/11/2002(金)

ホテルから歩いてバチカンに行く。サンピエトロ寺院の大きさ、荘厳さに圧倒される。でもこの辺りの風景ってゴルゴ13でしか見たことがないから、黒衣の神父さんがアタッシェケースを持っていたり、寺院の高いところの窓で何かがキラリと光ったりするのを見て、ゴルゴっぽいなんて思ったりした。そして、美術館の入口までえんえんと歩いて、入口からもえんえんと歩いて、システィナ礼拝堂の、ミケランジェロの壁画を見る。こういうものだったのか! センターの、アダムの創造のとこの絵だけ独立で写真などで見たことはあったけど、ぜんぜん感じがちがう。これはここに来て、こうやって見上げて見ないとダメなんだと思った。

いったんホテルに帰って昼寝をしてから、劇場に向かう。終わると11時でもうレストランがしまっちゃうので、テイクアウトのピザなどで腹ごしらえ。9時開演。きょうはカーテンコール4回だった。


10/10/2002(木)

昼間、繁華なあたりに観光に行き、店頭で見かけた帽子がステキで、サイズもぴったりだったので、ほとんど迷わず購入。そのままかぶって歩く。

ローマ初日。ダブリン公演ではカーテンコール2回やるとお約束のように拍手がやんでお客さんが帰っていったけれど、きょうはそれでも拍手がやまず、もう一度みんなで舞台に出て行った。「それでも拍手がやまず」と言っても、いいと思った人はあくまで拍手を続け、一方帰る人はどんどん帰っていく、というふうで、おもしろかった。

終演後、話したお客さんが、
「イタリアと一番ちがってておどろいたのは、みんな、キスをしないってこと」
と言ったのが興味深かった。なんていうんだろ、日本人は挨拶としてキスをしないってことなんかもぜんぜん知らない人が観に来てるんだなぁ、って思った。


10/09/2002(水)

ゲネプロ。ローマ公演は青年団初の午後9時開演なので、慣れるためにゲネも9時開演でやろうかという案もあったんだけど、多くの人の希望で7時開場、7時20分開演でゲネを行う。ジャンカルロ・ナンニさんも観にきてくれた。


10/08/2002(火)

場当たり。こないだのTHE SHAMPOO HATの公演のときの場当たりは、登退場や音響・照明の変化のあるところだけ抜いてやる稽古で、たぶん場当たりっていったら普通そういうのなんだと思うけど、青年団の場当たりは、途中を抜かないでやっていく場合が多い。今回のツアーは特に、字幕の表示があるから、もう、ぜんぜん途中を抜かない。

「東京ノート」は、いままで英語、フランス語、韓国語字幕でやったことがあるけど、イタリア語の字幕はきょうが初めてだった。


10/07/2002(月)

朝、トラックから劇場へ搬入作業をしていると、通りかかったおじさんが私たちを見て、
「トウキョウノウツ?」
そうだと答えると、
「ローマ公演は私が一番にチケットを買ったんだ、妻と何度も日本に行ってるし、娘がウジイエに住んでる。芝居の内容も勉強したよ。2004年で、ヨーロッパが戦争になってるんだろ?」
最前列だから舞台からも見えるよ、と言ってそのおじさんは去っていった。

きょうは仕込みだけで、稽古は、なし。


10/06/2002(日)

早朝の飛行機で、ローマへ。ダブリンは寒かったけど、ローマは暖かい。ホテルにチェックインした後、劇場を見に行く。6月に「かもめ」ワークショップでご一緒させていただいたジャンカルロ・ナンニさんの劇団の劇場だ。帰りに、ホテルの近くのスーパーへ。オリーブオイルだけ、パスタだけの棚があった。

夕食で、一週間ぶりにビールを飲む。おいしい。食事は、タコのマリネと、スパゲッティ。マリネは、タコといっしょに、ゆでジャガイモをうすく切ったのも入ってて、おいしいなぁと食べているさいちゅうに、あぁ、ダブリンの食事はそういえばどれも塩味がしっかりしていたなぁ、こういう薄味のものって久しぶりだなぁということに気づいた。


10/05/2002(土)

ダブリン滞在の最終日。マチネ、ソワレと観劇。


10/04/2002(金)

朝、歯医者に行く。
「月曜日、前よりすごくよくなった。火曜、水曜、かわらない。悪くはならないが、よくもならない。だから心配になった。きのう、よくなってきた。初めて鎮痛剤を飲まなかった。でも『痛み』ではないけどなんかまだ変な感じがする。ここんとこ(あごの下)が腫れてるし、のどの左側も痛い。口の中になんかこぶがある」
と説明して、診てもらう。とにかくこの歯は、抜かなきゃならないってことはたしかだ。化膿してたのもひいてきてるから、いま抜くんなら抜いてもいい、といきなり言われてびっくり。ダブリンに住んでる、自分の患者なんだったら抜けと言うけど、いま抜くか抜かないか、それはあなたの判断だ、とのこと。歯を抜かなければまたいつ痛くなるかわからないが、いまの様子だったらすぐまた炎症を起こす可能性は少ないだろうとのことだったので、痛くなったとき用の抗生物質と痛み止めを処方してもらってあとは日本に帰ってかかりつけの先生に診てもらうことにした。日曜に発つから、抜歯して何か問題があってももうこの歯医者さんに診てもらえない(土日は休み)んだもん。

夜、ダブリン演劇祭のThe Mysteriesという公演を観に行く。聖書の物語の、こういうのもミュージカルというのかな、歌はアカペラで、俳優がドラム缶とかプラスティックごみ箱をたたいたりしながら歌うの。第1幕は旧約聖書で、天地創造、エデンの園、カインとアベル、ノアの箱舟、そして一挙にとんで、キリストの誕生まで。声の豊かさがすばらしかった。休憩後の第2幕は、新約聖書のイエスの生涯で、とたんにまじめで遊びのない感じになって驚いた。1幕は伝説、2幕は宗教、という印象を受けた。そして、私は中学生から大学生くらいの頃に「ジーザス・クライスト=スーパースター」を、曲を暗記するくらい見たり聴いたりしてたんだけど、印象がダブる部分があり、新しいものを見たという感じがあまりしなかった。劇中で、ティン・ホイッスルが使われていたのは、やっぱりアイルランドでの公演だからだろうか。F管くらいの、短いヤツに見えた。

3階席での観劇だったが、俳優がちょうどこちらに顔を向けているように見え、1階なんかではあごしか見えないんじゃないだろうか、どうなんだろうか、と不思議に思った。

夕食は、中華。ダブリンに着いた翌日も行った店なんだけど、あのときは歯痛でよく味わえなかった。きょうは満喫。その後パブ。パブでソフトドリンク(セブンアップとか、紅茶とか)を飲むのにも慣れてきた。


10/03/2002(木)

朝、
「明日の朝、歯医者の予約が取れました」
と連絡があったとたん、痛みが薄れていった。心配性だからなぁ、私。とはいえ、あと1カ月間日本に帰らないわけなので、そのあいだに痛くなったりしないようちゃんと診てもらっておきたいと思う。

午後、Dublin Writers' Museumに行った。アイルランドの作家たちに関する博物館だ。7月にシェリダンの「悪口学校」をやったので、シェリダンの展示が見たかったんだけど、あまりなかった。お金を貸してくれ、という直筆の手紙くらいだった。

街の本屋さんをのぞいたら、「スタートレック」という棚があったので近くに寄ってよく見たら、上3/4くらいはスターウォーズの本だった。なんなんだよー!! そしてみやげ物屋さんで、ティンホイッスル(D管)を買う。アイリッシュウィスキー味のチョコレートを、
「一つどうぞ」
とすすめられたけど、いまアルコール厳禁なので、これ、アルコール入ってるの?と聞いたら、箱の表示を見てくれて、
「入ってる」
「ドクターがアルコールダメって言ってるから。残念だけど」
「オレもドクターにそう言われてるけど、聞かないんだ」
あぁ、そうですか。

夜、日本大使館主催の平田オリザの講演会。その後のレセプションで、「東京ノート」を観た人たちといろいろ話ができておもしろかった。

夜、パブに行く。こっちに来た2日めに行って以来だから、5日ぶりか。歯痛が治ってきて、やっと夜とか出掛ける元気が出てきた。


10/02/2002(水)

朝、洗濯(手洗い)をしていて、そういえば起きてからまだ痛み止めを飲んでいないことに気づく。ぜんぜん痛まないわけではないんだけど、やっぱり、少しはよくなってきているのかな。でもまた痛みが広がってきたので、昼頃痛み止めを飲む。

なかなか痛みがおさまらない。歯医者さんは、水曜日くらいには痛みがひくだろうと言っていたので、心配になる。もちろん悪くはなっていないんだけど、きのうよりもよくなっているという感じでもない。のどの腫れも、ひかない。もう一度診てもらうよう、連絡してもらう。

ダブリン公演最終日。きのう、おとといは、ほとんどが字幕を読んだタイミングの笑いだったけど、きょうは日本語を聞いてるお客さんがある程度いるような感じだった。見たわけじゃなくて、客席の反応でそう思った。

8時開演だから、9時半過ぎに終演、アフタートークがあって、その後バラシ。劇場を出たのは11時半くらいだった。


10/01/2002(火)

歯は、前ほどではないが、まだ痛む。朝食は、マッシュポテトとスクランブルエッグを中心に。私のパソコンでどうしてもネットに繋げないので、家の人のパソコンに間借りさせてもらってメールを読む。

劇場入り前に、街をちょっと歩いた。私が着れそうなサイズの洋服が普通にいっぱい売っていて、2年前にアメリカに行ったときみたいにまたなんかいろいろ買い込んでしまいそうな予感(きょうのところは、偵察のみ)。

新聞に劇評が載り、ラジオでもよい批評が流れたそうで、きょう、明日のチケットは完売とのこと。

きのうの観客とはまた別のそこかしこで笑いが起きる。深刻な話でものすごくしーんとなるのはきのうと同じ。きのうは終演で暗転した瞬間に拍手がきたけれど、きょうは、まだ暗転しきらないところで拍手が始まった。青年団の「東京ノート」は、日本各地、韓国、アメリカ、カナダで上演してきたけど、このタイミングで拍手が来たのは、たぶん、初めてじゃないかな。


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