『雨が来る』日記

第1週 8月19日(月)〜8月24日(土)

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08/19/2002(月)

なおちゃん、風邪はどうですか。

今回、『雨が来る』稽古日記を書くにあたり、なおちゃん宛てのメールの形で書くことにしました、よろしくね。たぶん実際に毎日送ったりはしないと思いますが。いままで日記を書いてきて、「誰にわかるように書くのか」「どこまで説明するのか」というのがときどきわからなくなっちゃうので、じゃぁ想定読者をすんごく絞り込んだら書きやすいかなと思って、それでこんな形を考えてみました。

きょうは『雨が来る』の稽古初日でした。ここ数日家にこもっていたので、化粧をして出掛けるのは久しぶりでした。

稽古初日は、緊張します。でも『悪口学校』のときほどではなかった。あのときはほとんどみんな初対面の人で、しかも私だけ一週間遅れて参加したから稽古初日は緊張して舞い上がって何がなんだかよくわからないうちに終わってしまいました。でも今回のメンバーの人たちは、6月にチラシの写真撮影で一度会っているし、もともと顔は知っている人が多かったし、そんなにものすごくは緊張しませんでした。

まだ途中までですという台本(1場、2場)を渡されて、少し読んでみたら、私の役は、半身不随の妻でした。ビックリしました。半身不随の妻を治そうと東奔西走する男の話だっていうのは、チラシの文章で読んでいて、だったら私は介護ヘルパーみたいな人かなって思っていたんです。テレビCMのオーディションに呼ばれるときも、世話焼き母さん、って感じの役が多いんですよ、私。そういう「いかにも」なイメージじゃないところで使ってもらえると思うと、嬉しかったです。CMと演劇は、そりゃ当然ちがいますけどね。

だいたい、シャンプーの人たちってみんな私より10歳くらい年下なので、夫婦の役というのは考えてもいませんでした。夫は、児玉貴志さんです。実は私は、THE SHAMPOO HATの公演は、まだ観たことがありません。ビデオで『アメリカ』と『蠅男』を見ただけです。そのビデオで、児玉さんってかっこいいなぁと思っていたので(シャンプーをよく観ている友にそう言うと、「それは少数意見だ」と言われました)、相手役が児玉さんというのも嬉しかったです。

ところで、ビデオで見た2作品では、ほとんどの登場人物が煙草を吸っていました。今年3月に4月公演の稽古も見せてもらいました(本番は、自分の公演と重なって行けないので。)が、その作品でも、みんなどんどん煙草を吸っていました。だから、あぁこれはきっとあらかじめ言っておいたほうがいいと思って、初めて会ったそのときに、
「赤堀さん、私、煙草は吸えないんですけど、大丈夫ですか?」
「あぁ、じゃぁ、煙草を吸わない役を書きます」
という話をしたんだけど、台本を見たら、家族の中で唯一煙草を吸わない人の役に書いてあって、煙草を吸う人にいちいち、
「ベランダで吸って」
って言ってます。おもしろいなぁと思いました。

「松田さん、絵を描くっていうのは、どうですか?」
と赤堀さんに聞かれました。絵を描く役なんだけどそういうのは大丈夫ですか?もしダメだったら書き換えようかと思って、……とのこと。実は私は高校で美術部だったので、絵を描く役なんて嬉しくて、
「でも、左利きなんですけど、いいですか?」
と聞いてみた(でも、シャンプーのメンバーの野中さんが『アメリカ』で左手に箸を持ってお弁当を食べてたから、たぶん問題ないとは思っていました)ら、大丈夫とのことでした。

客演のみのすけさん(8月26日まで他の公演がある)、シャンプーのメンバーの野中さん(9月1日まで他の公演がある)以外が全員そろい、一通り自己紹介をしてから、読み合わせをしました。あ、その前に赤堀さんが、この公演の心構えというかコンセプトみたいな話をしました。何か他から「持ってきて」作るのではなく、自分として「そこにいて」もらいたいという話でした。それからこれは、一回読んだ後でだったかもしれないけど、なぜこれを書いたかとかこの作品のテーマについても赤堀さんは話しました。30代に入ると、10代20代に思い描いていたことは実現不可能な夢みたいなものだったと気がつく。そういう、「人生、終わっている」人たちの話だ、と赤堀さんは言いました。でも、「終わってるけど、終わってない」と言っていましたから、希望がないわけじゃないらしい。

その後、もう一度台本を読みましたが、今度は赤堀さんが途中でとめて指示を出したり説明をしたりしながらでした。わからなかったところがわかったり、こういう感じかと思っていたところをいやいやこうと修正されたりして、みんなどんどん変わっていくのがおもしろかったです。都合3回台本を読んで、それできょうの稽古は終わりでした。

初日なのでみんなで飲みに行きました。嬉しくていい気分で、ちょっと飲み過ぎました。


08/20/2002(火)

なおちゃん、きょうの私は、きのうとうってかわってブルーでした。

きのうは私に対してあまり指示がなかったので、あぁこういう方向性でいいのかなって思っていたら、二日めのきょう、いろいろと指示を受けました。言われたことはそう直せばいいんだけど、「言われた」ってこと自体になんだかショックを受けてる自分がいて、これってプライドが傷ついてるんじゃん、って思うと、そんなちゃちなプライドが自分にあったことにさらにショックを受けました。でも、あるんだからしょうがない、自分のこんなプライドとも向き合っていかないとね。いちばんの敵は自分だ!

まぁ、赤堀さんが人見知りさんで(きっと)、よく知らない私に対してまだいまのところ遠慮がちな態度でダメ出しするから、気を遣われてかえって傷ついちゃう(私が勝手に。赤堀さんが悪いわけではありません)、みたいな面もあったんだと思います。なにしろ稽古が始まる以前には1回しか話したことない私たちですから、まだお互いにどういう人なのか探り合ってる感じです。

具体的な話をしましょう。きょうの稽古も、読み合わせから始まりました。動作などつけたい人はつけてもいいです、と言うことで、絵を描くところは台本の余白にちょっと絵を描いたりしてみました。昔はそういう、本気なのかどうかわかんないみたいな稽古が苦手でしたが、いまは大丈夫です。自分の中で、最終的になんのために稽古しているかという目的意識がはっきりしてきたんだと思います。一回読んだ後、赤堀さんが児玉さんに、
「芝居になると、きれいな、コーティングされたような声になる。今回はそういうコーティングのない声でやってほしい」
ということを言い、続けて、
「松田さんもそうです。もともといい声なんだと思いますが、今度は、声を張らない感じでやってみてください」
と私に言いました。私は自分の声は高くて鼻にかかって柔らかすぎると思っているので、「いい声」と言われたのは意外だったしちょっぴり嬉しくもあるんだけど、いまのこの部屋の中の距離感(長机6つをロの字型にして置いて、それを囲んで座っている)で普通に声を出していたつもりだったので、「声を張」っていたつもりはぜんぜんなくて、そう言われて動揺しました。『悪口学校』で声が鍛えられたのかな?

それと、いまのニコニコした感じじゃなくやってほしいということも言われました。私の演じる智子という役は、交通事故で半身不随になった人です。その家に、事故を起こした青年が訪ねてきている。その加害者に対して常に笑顔で明るく接しているのは、逆に裏がありすぎるように見えるとのこと。私の普段のしゃべり方や立ち居振る舞いには「かわいい」ところがあるんだそうで、それをなくしていきたいとのことでした。話の内容自体が暗いから話し方は軽く明るく、というつもりで私はきのう、きょうやってたので、大きな方向転換となりました。

あと、
「抽象的な言い方しかできなくてすみませんが、もっと雑にしゃべってください」
という指示もありました(これは私だけじゃなく)。

10分休憩してから立ち稽古、ということになって、でもシャンプーのメンバーの人たちが舞台装置をどうするかを話し合っていて、それが30分くらいかかりました。青年団だとだいたい稽古期間が始まる前に美術家が装置図面を作ってくるし、デザインに俳優が関わることもありません。シャンプーの人たちが全員で、
「いや、こうすると車椅子がほとんど見えなくなってしまう」
「ベランダの向きがこれではまずい」
等々話し合っているのが、私には新鮮でした。

その後の立ち稽古で、さっき赤堀さんから言われたような、笑顔にならないやり方を試してみました。
「その方向性でいいと思います」
と言われ、もう1回やったあとでは、
「その方向性でいいと思いますが、いまのままだとあまりに裏がなさすぎる」
と言われました。うふふ、だんだんむずかしくなってきます(ブルーな気分がもう直ってきています)。
「絶対に微笑んじゃいけないってことじゃないですよね?」
と聞いたら、笑顔をうまく(内に秘めている何かの表れとして)使えるといいと思います、という返事でした。

シャンプーのメンバーの人は、まだ台詞覚えなくても大丈夫ですよ、ぼくも覚えてないですよ、と言うんだけれど、私は台詞を覚えてしまってからのほうが自由にいろいろやってみれるタイプなので、なるべく早くに覚えてしまおうと思います。

ボランティア青年中山(みのすけさん)が、智子(私)に、
「オシッコ大丈夫ですか?」
と聞くところがあるんですが、これは具体的にどういうことなのか、台本で限定されていないから可能性はいろいろありそうで、考えてもわからないから、赤堀さんにどうなんですかと聞いてみました。たぶんオムツの世話をしてもらっているということでした。なおちゃんもそうでしたが、赤堀さんも、「たぶん〜です」とか「よくわからないけれど、〜」という言い方をします。演出家って面白いね。断定できる立場だから、逆に、自分の断定で自分がしばられないようにしてるのかな。

衣裳をどうするのかというのも(座組みによっていろいろとシステムがちがうので)、聞いてみました。自分で探すらしいです。割とラフな感じ(下はチノパンとか)にするとのことでした。

公演が近づくまで、稽古は、月〜土は夜(6時〜10時)のみです。時間が短いことがストレスになるかなぁと、始まる前不安だったのですが、きのう、きょうとやってみて、ものすごく稽古した感じがするので驚いています。赤堀さんからの指示が多いし細かいので、「濃い」感じがします。あまり休憩をとらないでずーっと続けてやってるということもあるんでしょうね。


08/21/2002(水)

なおちゃん、

きょうは朝から家で、2場の台詞を特訓して覚えました。自分以外の人の台詞を録音しておいて、それにあわせて自分の台詞を言うんです。自分が台詞を言うキッカケが他の人の動作のときは、それも言葉で録音しておきます、「登、煙草(に火を付ける)」とか。同じ録音で何度もやると、その「間」に慣れちゃうので、2回とか稽古したらまた録音し直します。きのうからの課題の「悪意」をどこでどれだけ見せるかというのを注意して自分なりに決めてやってみました。

いつもこういうやり方で台詞を覚えるわけじゃないんだけど、今回の私の台詞にはこのやり方が合っているように思います。

稽古に行くと、3場の台本ができていました。全体の構成を見たいからということで、1場の最初から通して読み稽古。きのうと同様、動きたい人は動いてもよい、というやり方。赤堀さんに、2場での私の悪意の出し方がとてもいい状態になっていると言われました。やった!

その後、再度3場。事故の加害者(日比さん)が泣きながら「すいません」を連呼した後で被害者の私が、
「スッキリした?」
と言う。その言い方が、まだ悪意が足りないと言われました。これは家に帰ってから気づいたんだけど、不機嫌そうに言おうとしてた。だからダメだったんだと思います。


08/22/2002(木)

なおちゃん、

きょうも朝から家で、台詞覚え特訓しました。また新たに録音から始めて、2場と3場。あとで聞き返したら、起き抜けの録音で寝ぼけ気味だったので、泣きながら言う
「すいません」
って(日比さんの)台詞の次に「祈祷師たち入ってくる」とト書きを言う声まで泣き声になってました。でも、シャンプーみたいな(一見)日常(的な)会話のほうがやっぱ私にはシェリダンより覚えやすいです。新井さんは、日常的な台詞って覚えられない、て言ってましたから、まぁどっちにしろ、慣れってことなのかもしれません。

きょうの稽古は、まず3場。きのう読み合わせをやったところですけど、3場から登場する温水さんがきのうはお休みだったので、あらためて読み合わせ。と言っても動きながらみんなやってました。その後、3場後半の稽古。展開も温水さんもすごくおもしろくて、みんな必死で笑いをこらえてやっていました。

祈祷師(というのは、温水さんの役です)の弟子が私の足首をつかんで、
「大丈夫ですよ、痛くないですから」
と言うんですけど、半身不随で麻痺してるんだから痛いわけないじゃん、ということに、稽古場で気づきました。家で台詞を読んでるときはわからなかった。

それから、3場全体。ショートケーキのイチゴを、夫が妻の皿に乗せる、妻がそれを食べる、という段取りがあるんだけど、客席からの見え方を考慮した動き方の指示が赤堀さんから出ました。その他にもタイミングや動作や言い方について、指示がだんだん細かくなってきました。

その後1場に戻り、やはりとめて指示を出しながら稽古。続いて3場を再度稽古して、きょうは終わりでした。3場の最後に、私は微笑みながらVサインを出すのですが、そこがちゃんと微笑めているのか顔がひきつっているのか、自分ではよくわからなかったので赤堀さんに、
「ちゃんと微笑んでますか?」
と聞いてみました。すごくいい笑顔だと言われました。やった! でもたぶん、ひきつり具合とかも合わせてのことだと思うのです。私は主観的には一生懸命微笑んでいるので、「じょうずに」なったら表情が変わってくるかもわかりません。でもそうなったらそのときこそホントにコントロールした上で赤堀さんのいう「すごくいい」笑顔ができるようになると思いますので、恐れず進みます。

そういえば、きのうきょうと急激に「馴染んで」きてる気がしますよ、私、シャンプーの稽古の雰囲気に。


08/23/2002(金)

なおちゃん、きょうは雨ですね。このまま涼しくなるのかな?

きょうの稽古は、1場と2場を細かくやっていきました。1場の途中で赤堀さんが、演技全体に関するコンセプトみたいなことを話しました。その内容は、いまはお互い、相手と関係なく自分の決めたプランをやろうとしているように見えるが、現在の段階では現実の稽古場の距離感(まだ図面とかできていないので「実寸」というものはないのです)どおりにやってほしい。それと、「見られている」ことを意識しているために身体や声がかたくなっちゃってるけど、本当にいい具合に集中すればそうならないはずだ。集中した状態であれば、アクシデントへの対応等も全部「正解」になる。そういうふうにしたい。その中で、稽古期間の中で、「ルール」を作っていく。この場面では咳をしてもいいけどこの場面ではダメとか。そのルールを決めるのは自分(=赤堀さん)だけど、俳優もわかっていってほしい。だいたいそういう話でした、と思います。

赤堀さんのよく使うフレーズに最近気がつきました。「いまの段階でこれを言うのは酷なんだけど」というのと、「抽象的な言い方になってしまうんですが」の2つです。1個めのは、「いまできなくてもいいです。そのうちできるようになってください」というような意味なみたいです。

2場の稽古になって、赤堀さんは、1場とちがってまだ台詞もうろ覚えでしょうから軽く、とか言うんだけど、1場からずっと出てる人はそうかもしれないけど2場から登場する私や児玉さんはあんまり関係ないなぁと思いました。でもきっと、1場からずっと出てる人に気をつかって、そう言ったんでしょうね。赤堀さんは、そういうふうに気をつかう人のようです。

煙草の煙を手であおいでください、と新しい段取りを追加されたら、とたんにそこの台詞が言えなくなりました。なぜわざわざ他人の手をわずらわせてまで絵の具を買いに出掛けていったのか、買ってきてくれって頼めばそれですむのに、という弟に対しての返事で、
「なんかいっぱいいろんな種類の色がこう…並んでるでしょ」
っていうところ。元々苦手な台詞だったのです。赤堀さんは、
「すいませんね、『なんか』とかいっぱいあって」
と言うんだけど、それは平田オリザの戯曲でもいっしょなんで、私には特にそれがむずかしいわけじゃないんだと思うんですが、なんでむずかしいんだろ。あ、いまわかりました。「なんかいっぱい」+「いろんな種類の色が」の2つの固まりと思ってたから組み合わせがぐちゃぐちゃになりがちだったんです。「なんか」+「いっぱい、いろんな種類の色が」って思えば(そしておそらくそれが作者の意図です)、言えるはずです。こうやって書いていると考えがまとまっていいですね。

1場の稽古をしていたとき、休憩中に赤堀さんが俳優にいろいろと指示や説明をしていました。2場の稽古のときもそうかなと思って、半ば待っていたのですが、あまりそういう話がありませんでした。あまり言うことがなかったんでしょうか? それはいいことなのか、悪いことなのか。気になります。新しい人と一緒にやるときは、いろんなことが不安です。そしてこういうのをちょっとずつお互いに「どうなの? どうなの?」と態度やなんかで確かめて、信頼を築いていく過程が、私は好きです。

あしたは稽古が休みです。ここぞとばかりに家で他の仕事をしないといけないのですが、『雨が来る』のことばかり考えてしまいそうです。


08/24/2002(土)

なおちゃん、こんにちは。

稽古が休みのきょう、家で一人で「ケーキ」の練習をしました。劇中でイチゴのショートケーキを食べるシーンがあるのです。くだんのカセットで台詞を流しながら、どのくらい時間のかかるものか試しました。以前もイチゴショートを食べる芝居(『新版・小町風伝』)をやったことがあるので、買ってくるお店によって大きさや食べやすさにかなりちがいがある(水戸と湘南台と伊丹でやったので、それぞれちがうお店で買いました)というのはわかっているんだけど、曲がりなりにも実物のケーキで、一度やってみておきたかったんです。

ケーキの周りのセロハンをはがす手間があるので、早く食べ過ぎちゃって時間があまったりはしないだろうということがわかりました。逆に、この時点では箸(箸で食べるんです)を下に置いておきたいというときまでまだたぶん食べているようになりそうなので、その場合の対処法なども考えました。

私は、稽古の始めから実際の小道具を使うやり方に慣れています。昔いた転位・21という劇団も、いま所属している青年団も、そういう稽古の進め方です。お茶をいれる、お菓子を食べる、コーヒーを飲む、というような、消え物系も、実物か代用品(稽古中は安くて量の多いお菓子を使うとか)を実際に使って稽古していきます。今回の現場では、いまのところほとんどの小道具が「無対象」です。シャンプーの現場に慣れている人はそれで大丈夫なんだと思いますが、私は本番近くなっていきなりホンモノの小道具を使ったんでは間に合わなくなりそうなので、自分の分だけは自分で用意して使ってみています(スケッチブック、箸など)。間に合わなくなりそうって以外に、無対象で食べてるふりとか箸を持ってるふりをするのが恥ずかしいというのも、理由です。でも、ケーキはちょっと用意しにくいので、きょう家でやってみたわけです。

あぁでも、思い返してみると、『新版・小町風伝』の稽古でも、さすがにケーキは毎回はホンモノは使っていませんでした。ケーキに似てるけど1箱に6個入ってるお菓子、とかそういうのを普段は使って、通し稽古のときだけイチゴショートケーキでした。まったくの無対象ということはなかったわけですけど。


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