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仮説:ホームページは更新しなくても良い

Webの話題
1999.9.28

「ホームページを公開したら、更新を欠かさないようにしましょう。」という意見をよく聞く。(この場合の「ホームページ」は「Webサイト」の意味)。更新しないページには誰も来てくれない、などという意見も聞く。ちょっと待っていただきたい。私は、Webページは定期的に更新するべきだ、という短絡的な意見には反対である。もちろん、わざわざ憲法を持ち出すまでもなく、ページ作成者には「ページを更新しない自由」があるわけだが、これからするのは「自由」についての話ではない(Webにおける自由についての私の考えは、数回前に掲載した「仮説:リンクの自由は憲法で保証されている」や、「誤ったHTMLで迷惑するのは誰か」を参照されたい。)

そもそも、WWWという仕組みは、最新ニュースを配信するようにはできていない。Webページが更新したかどうかは、そのページを見に行かない限りわからない。あらかじめ登録されたWebページを自動的に巡回し、更新状況を知らせてくれるソフト、なんていうのがあるという話も聞くが、いずれにしろ、こちらから見に行かない限り、情報が更新されたかどうかはわからないわけである。どこかのページに最新ニュースが掲載されたとしても、こちらから見に行かなければ情報が掲載されたことすら知ることはできない。
ページを作成する側にしても、生のままの情報をそのままパッとページに載せるわけにはいかず、HTMLに直して、FTPとかでサーバーにアップロードしたり、などしなければならないわけだ。こんなまどろっこしい方法に速報性を期待するほうが間違っている。速報のためなら、個人レベルではE-mail、公共レベルではNetNewsという、より優れた仕組みが既にインターネットにあるではないか。それらを使って見もしないで「インターネットで最新情報をゲット」とか言っているのは、インターネットを娯楽の対象としか見ていない「視聴者」のセリフであって、ページ作成者はいちいち気にかけずとも良い。

それでも自分はWebページに最新ニュースを掲載するのだ、と言うならば、そういうページには道義的な意味で更新義務が生じる。「最新」と言っておきながら古い情報が載っていたらになってしまうからだ。
しかし、である。最初から「最新」情報を載せようとしない態度だってあるし、その方が本来的なWWWのあり方であるとさえ、私は思う。WWWは、時間が経過しても劣化しない(少なくとも、劣化しにくい)情報、そういう寿命の長い情報を載せるのに優れた仕組みだからである。

例えば、このサイト内の最も古いコンテンツは「青年団の照明の作り方」だが、これを掲載したのは1996年の秋だったと記憶している。現時点で、掲載から3年たっているわけだが、内容は3年間、まったく触っていない。もちろん、更新していないわけだから、一度読んだ人は二度は見ようとしないだろう。しかし、更新はしていないが、あの内容は初めて見る人にとっては「新しい情報」であるはずである。あれを今初めて見て、その人にとっての新しい情報として吸収していく人が、3年たった現在でもいる。「青年団の照明の作り方」は、時間が経過しても劣化しにくい情報だからである。

更新したほうがアクセス数が増える、というのは確かに正しい。しかし、アクセス数の多いページが、少ないページより優れているとは言えない。更新はされなくても、アクセス数が少なくても、内容が優れている、というWebページが世の中にはたくさんある。そういうページには、寿命の長い(劣化しにくい)情報が載っている。一度来た人が二度三度と続けてくるわけではないから、アクセスカウンターの数字は必ずしも大きくないかも知れないが、だからといって価値が低いわけではない。更新している=良いページ=アクセス数が多い、更新していない=怠慢なページ=アクセス数が少ない、という単純な図式的とらえかたをする人がいるが、それは誤っているし、残念なことだ、と私は思う。

もちろん、頻繁に更新して、最新の(寿命の短い)情報を常に載せているようなページにだって価値はあるし、そういうページで優れたものもたくさんある。しかし一方、全く更新はしなくても、ずっとそこにあって欲しいページ、というのもあるのだ。更新頻度ページの価値との間には、相関関係はあるかもしれないが、因果関係はない。

私の結論:更新するべきかどうかは、掲載されている情報の寿命で決まるのであって、Webの本質とは関係ない。


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岩城 保(Tamotsu Iwaki)
iwaki@letre.co.jp