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舞台スタッフのダブルクリック

舞台裏の話題
2001.4.1

中高年のパソコン初心者にとって、最初の難関は「ダブルクリック」であるらしい。握ったマウスを動かさずにボタンだけ素早く二回押す、という動作は、慣れないとなかなか難しいと聞く。私自身は、「マウス」などというものがまだ珍しかった頃からパソコンとつきあっているし、マウスが普及した時はまだ20代だったので、ダブルクリックに苦労した記憶はあまりない。だが、私とダブルクリックとのつきあいは、実はもっとずっと古いのである。

私が最初に「ダブルクリック」に出会ったのは、1988年頃である。私とダブルクリックとの出会いの場は、驚くなかれ、照明の現場であった。照明(というか舞台)の現場では多くの場合、「インカム」という機器が使用されるのをご存じだろうか。インカムとは簡単にいえば、裏方スタッフ同士をつなぐ、常時会話可能な有線電話である。劇場で、スタッフがヘッドセットをかぶって会話しているのをご覧になったことのある方もいることだろう。あれである。

舞台やイベントで、効果音と共に照明が明滅し、同時に火花が飛んだりするような場面があったとする。ピタリとタイミングが合えば実に見事に観客を魅了する。そういう時、観客は「スタッフの息が何とぴったりとあって」などと思うのかも知れないが、あれは別に、スタッフ同士の呼吸とかはあまり関係なくて、インカムでお互いに会話しながら誰か一人のかけ声でやっている場合がほとんどである。

かけ声と言っても「せーの」といった言葉は使わず、横文字で「スタンバイ、ゴー」と言う。実際のインカムの会話では、舞台監督かそれに類する人が「まもなく何々のキューです...スタンバイ...ゴー!」などと発語してタイミングを合わせる。小劇場の場合はインカムで「スタンバイ・ゴー」とか言ってたら観客に聞こえてしまうから、インカムを使わないケースも多いが、大劇場や「幕張メッセ」のような展示会場、あるいは野外などの場合、本番中のスタッフ同士は実はインカムで結構しゃべっている。特にロックコンサートのような、舞台で激しい効果が連続しているようなものになると、キューを指示する人は本番中を通してほとんどしゃべりっぱなしである。

しゃべりっぱなしの人がいるかと思えば、まったく話す必要のない人もいる。例えば、ピンスポットのオペレーターなどは、キューをもらってそれに従って操作するのが主な仕事で、自分からしゃべる必要はほとんどない。そういう人は、自分のマイクのスイッチをOFFにしておくのが礼儀である。さもないと、周囲の雑音が会話に混入し、キューの伝達の障害になるからである。

マイクのON/OFFのスイッチは、手のひらほどの大きさの子機と呼ばれるものについている。ヘッドセットはこの子機につながっていて、子機からさらに回線のケーブルがのびているのだが、この子機に、マイクのON/OFFの押しボタンスイッチがついている。短い発言をしたい場合は、押しボタンを押しながら話す。ボタンを離せばマイクはOFFになる。しかし、長時間しゃべる必要がある人は、ボタンをずっと押し続けるのは大変なので、マイクを常時ONの状態にしなければならない。そのためには、ボタンをダブルクリックする

やっとこれで話がつながった。そういうわけで、舞台の世界では、ずいぶん昔からダブルクリックという操作は存在していた。ただし、「ダブルクリック」という言葉が普及するのはその十数年後である。制作の人にインカムを貸す際など、昔は子機の使用法の説明をするときに、「ボタンを押せば話せます。ずっと話したいときは、こう、2回押すと、ONの状態になります。」というように説明し、それでもなかなかわかってもらえないこともあるくらいだったのだが、マウスが普及した今は、「押せばON、離してOFF、ダブルクリックでずっとONになります」といえば一発で通じる。ちなみに、中高年の舞台人にマウスのダブルクリックを教える際は逆に、「インカムのスイッチみたいに続けて2回ボタンを押します。」と言えば良い。

パソコンのダブルクリックの話をしようとしたら、すっかりインカムの話になってしまった。が、これはこれでなかなか面白い話になったので、今回はこれで終わりにして、本当にしたかったダブルクリックの話はまた別の機会にゆずることにする。

私の結論:(今回は話が脱線したため、結論はありません。)


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岩城 保(Tamotsu Iwaki)
iwaki@letre.co.jp