「TPP」とはどういう問題なのか、やっとわかりました。

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)。この問題、反対意見は非常に具体的で論理的なのだけど、賛成意見はなんだか曖昧で、にもかかわらず賛成のほうが多数派、という不思議な状態にある。このような「明確な反対意見よりも曖昧な賛成意見のほうが多数」という怪現象がなぜ起きるのか。それは、「景気回復」「GDP」「株価」などの、言葉のマジックによると、僕は考えている。

TPPというのは、要するに「自由化」である。大ざっぱに言えば、経済の世界での「国境」を取り払い、国を超えて自由に売り買いできるようにしましょう、ということだ。

「TPPに参加すれば、景気が回復する」というのは、ある意味では正しい。どう正しいかというと、「株価」という数値や、「GDP(国内総生産)」という数値が、上昇することが予想される、という意味においてである。こういった「経済学的な数値が上昇」することを「景気の回復」と定義するなら、まったくその通り。たしかにTPPで「景気回復」することになる。

でも、そのような「数値の上昇」が、国民の実生活の豊かさとどう関係あるのか、あるいは無いのか、そこを見極めることが肝心である。

「株価」というのは「上場企業」すなわち大企業の株の価格である。そして、その株価というのは、基本的にその会社の「業績の短期予測」によって上下する。だから、大企業の業績が短期的に改善すると期待されるなら、株価は上がる。肝心なのは、株価というものは、現時点での業績ではなく、「短期未来の業績の予測」に大きく影響されるということだ。TPPについて現在話題になっているのは「TPPの交渉に参加するか」である。最終的にどのような条約が締結されるかは、全くわからない。しかし「交渉に参加する」と決めただけで、大企業の「業績の短期予測」は変化する。それだけで株価は動く。おそらく、大企業については平均して業績が短期的に改善する=株価が上がるという予想があるのだろう。しかしそれは、あくまで大企業の短期業績予測であって、それがすぐに国民生活の豊かさに直結はしない(おそらくほとんど関係ないと個人的には思っている)。

GDPはどうか。TPPによって自由化が進み、アメリカの貿易会社、保険会社、製薬会社などが、日本支社を持つようになり、日本国内で売上げを伸ばすとする。収益はたぶん日本支社のアメリカ人が得るけれど、外国人といえども「国内」にいるわけだから、この分は「国内総生産(GDP)」にカウントされる。このように、海外企業が日本に進出して業績を伸ばすことによっても、GDPは上昇する。

というわけで、ざっくり、大ざっぱに言うと、TPPというのは「国境を越えて商売をしたい企業」が儲かるための仕組み、である。それはイコール「経済面での国境を無くす」ということであり、言い替えると、「国家の権力を弱め、大企業の権力を強める」仕組みということだ(他に、ここでは述べないが「ISD条項」という問題もあって、それも考え合わせるとTPPはますます「国家の権力を弱め、大企業の権力を強める」仕組みだと確信できる)。

こうして考えてみると、誰がTPPを推進したがっているかがなんとなく見えてくる。それは、「国家の権力を弱め、大企業の権力を強めたい」人たちだ。大企業の権力が強まることで潤い、豊かになる人は、もちろんたくさんいる。例えばその大企業の幹部社員たちだ。しかし、その企業はその時点でもう国境を越えているので、その幹部社員が日本人なのかどうかもよくわからない。今流行の「グローバル人材」なのかも知れない。

どこの国の企業であれ、日本の国土内での売上げや消費が増えれば、GDPは上昇するし、関連企業の株価も上昇する。それは地理的には日本の国土の中で行なわれることだろうけど、その主役を果たして日本人が担うのか、それを担うのが仮に日本国籍の人だとしても、それを「日本人」と呼んで良いのかどうかすら、僕にはよくわからない。どちらにしても、GDPや株価などの数値は、TPP交渉参加によって、おそらく上がるのだろう。それを「景気回復」と言いたい人が言うのは勝手だが、それが「日本人」の生活の向上につながるとは、僕はぜんぜん思っていない。

*以上は、あくまで素人の個人的な理解で書いたものです。そうそう間違ってはいないと思いますが、専門家ではありませんので誤解や不正確なところも多かろうと思います。そのつもりで、話半分でお読み下さい。この文章を何かの参考文献にしたりなどは、決してしないで下さい。


カテゴリー: 社会


新プロジェクト「D-Con」について

D-Con Project がスタートした。D-Con(ディーコン)とは、DoctorMX (kuwatec) 専用の新しいソフトウェアを開発するプロジェクトである。

kuwatec社オリジナルの「DoctorMXソフトウェア」も、このブログで何度か取り上げてきたように、非常に多機能で、応用次第で様々なことが可能である。しかし、いかんせん、インターフェースがいわゆる「舞台照明卓」によくある形とはだいぶ異なるので、「普通の照明さん」には今ひとつ「取っつきにくい」という印象があることは否めない。

「まず普通の照明さんの感覚から」。それがD-Con の考え方である。D-Con 最初のアプリケーション「D-Con CF」は、一目見れば明らかなように、舞台照明をやっている人ならば、ほとんど何の説明もなく、マニュアルも読まずとも使い方がわかる。しかし、高級な機能はまだほとんど実装されていない。キューの記憶すらできない。

「コンピュータ卓」あるいは「on PC卓」を設計しようとなると、どうしても「コンピュータ的」な所から始めたくなる、それは当然である。しかし、D-Con はあえて、わざわざアナログ的なインターフェースをPC上に構築するところからスタートした。PC卓だから、「コンピュータ的」なことは、あとからいくらでも付加できる。しかし、その「出発点」「軸足」をどこに置くかをD-Conは重視し、そのスタートラインとして、私たち照明家が誰でも最初に学ぶ「3段プリセット卓」を選んだ。「まず、一番わかりやすい所から始めよう」、それがD-Conのコンセプトである。

D-Conには実はもう一つ、他のPC卓にはない大きな特徴がある。一般的にPC卓といえば、MA Lighting社の「GrandMA onPC」にしろ、Compulite社の「Vector PC」にしろ、実際の卓、すなわち「実機」の形をPC上に表示するのが基本スタイルとなっている。しかし、DoctorMXには「実機」というものが無い。だから逆に、PC卓はどんな形をしていても良いのである。言い替えれば、いくらでも好きな形にしても良いということである。極端な話、たとえば操作によってその時必要なボタンやフェーダーが突然出現したり、あるいは消滅したり、場所を移動したり、などしてもかまわない。実際、D-Con アプリケーションに将来的にそのような機能が実装される可能性は十分考えられる。つまり、D-Conは、「DoctorMXの新しいカタチ」を追求するとともに、「PC卓の新しいカタチ」も同時に研究していくプロジェクトだと言える。

しかし、最初はあまり大きなことを考えず、少しずつ進めることになるだろう。いきなり飛躍したことを考えるようでは、「3段プリセット」から始めた意味が無くなってしまうから。


カテゴリー: 照明


スーパーでどのレジに並ぶか迷わない方法

皆さんはスーパーで買い物をすることがおありだろうか。

スーパーでは、入口で買い物カゴ(店内用)を取り、売り場を巡りながら、買う品物をカゴに入れ、最後にレジで精算をする。この方式は、世界共通らしい。

大きめのスーパーだと、レジがたくさんあって、混んでいる時など、どのレジに並ぶか迷うことがあると思う。皆さんはそういう時、どのレジに並びますか?

「あの列は並んでる人は少ないが一人一人のカゴが一杯だから時間がかかる」、「こっちの列は一見たくさん並んでるように見えるが、二人連れが二組含まれてるから実は早い」。そんな基準で列を決め、あとで「あっちが早かったか、失敗」とか「予想通りここが早かったね、正解」って思ったりとか、そういう感じだろうか。

僕は最近、この「どのレジに並ぶか」について、迷わずに決め、しかもあとから後悔しない、という確実な方法を見つけた。皆さんも良かったら試してみて欲しい。

方法は簡単。まず、並んでいる列の長さや構成は見ない。列ではなく、レジ担当者の顔で選ぶ。これだけである。例えば笑顔で仕事している人、客に丁寧にお辞儀をする人、あるいは、イケメン、可愛い娘、何でもいい、とにかく、仕事をしている姿や外見の印象で決める。

ポイントは、その列が早いか遅いかではなく、あなた自身が、「たとえ時間がかかったとしても不愉快にならない」列を選ぶということである。たとえば「時間はかかったけど笑顔できちんと対応してくれたから満足」と思えるレジ担当を選ぶ、と言うことだ。

仮に、親しい知人がレジでバイトしてると想像してみて欲しい。そのような場合、多少列が長くて時間がかかるとしても、その列に並んでその知人と笑顔を交わせたら、決して不愉快にはならないだろう。

今日買い物をするスーパーのレジには、親しい知人はもちろん一人もいない。しかし、「この人なら友達になれるかも」と思える人は、遠目でも、ちょっと見れば何となく感じられるはずだ。そういう人の列に並べばいい。

僕は最近スーパーで買い物をすることが増えたのだが、この方法により、列に並ぶ際のストレスを回避している。

また、この方法は、実は店のためにもプラスになると思うので、皆さんも良かったらぜひお試しください。

カテゴリー: 日記・近況


転機の時を迎えて

今年は色々ありました。いや、実は、大きなことが一つ二つあっただけで、むしろ数(かず)的には、あまり色々は無かった年だったのかもしれません。

たくさんの人にご心配をおかけしました。そして、暖かい声をかけていただきました。ありがとうございます。おかげさまで、逆に今年は、ある種の「新しい自信」を持つことができた年になった、と言えるかもしれません。

今年の後半から照明プランの機会が激減しました。来年に入ってからも、まだしばらくは寡作状態が続きます。予定されている次の照明プランは、来年5月の三条会「三人姉妹」(ザ・スズナリ)です。それまで照明プランの予定は今のところありません。

照明プランをする機会は減りましたが、代わりに(といってはなんですが)、来年から新しく「D-Con Project」を立ち上げます。以前からずっとやりたいと思っていたことが、ついに実現する時が近づいているのを実感し、幸せに思います。

これからも、何事にもこだわり過ぎず、とらわれず、力を抜いて、誰かの指図を受けるようなハメに陥らないように気をつけながら、楽に生きていきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。


カテゴリー: 日記・近況


池田信夫氏の内田樹氏に対する意見について

内田樹先生がブログに「最低賃金制の廃止について」と題した記事をお書きになった。その中に、下記のような文が含まれていた。

-----------

橋下市長は「最低賃金のルールがあると、あと2,3人雇えるのに1人しか雇えなくなる。安く働けということではなく、賃金はできるだけ出して雇用も生んでもらう」と30日の記者会見で述べた。
市長はたぶん四則計算ができるはずだから、1人当たり時給800円のルールを廃止して、それで3人雇うということは、1人当たり時給267円になるということはわかると思う。

-----------内田樹の研究室「最低賃金制の廃止について」より

それに対し、池田信夫氏が次のように反論した。

-----------

内田氏は小学生レベルの算数もできないらしい。「あと2,3人雇えるのに1人しか雇えなくなる」という言葉を、勝手に「1人分の賃金で3人雇う」と解釈しているが、もちろん橋下氏のいっているのはそういう意味ではない。たとえば従業員100人の工場で800円×100人の賃金原資は8万円/時。ここで80000/103=776円に賃下げすれば、あと3人雇うことができる。最賃を廃止するというのはそういうことだ。

-----------池田信夫 blog「内田樹氏の知らない最低賃金制度」より

元発言者である橋下氏は、そもそもいったいどのような意図で「あと2,3人雇えるのに1人しか雇えなくなる」と言ったのか。その解釈は、おそらく池田氏の解釈が正しく、内田先生は橋下氏の発言意図を、その意味では誤解したのだと思う。

「たとえば一人当たりの賃金800円では100人しか雇えないところ、それを776円にすれば、同じ予算で103人雇うことができるではないか」と、橋下氏はたぶん、そういう意図で言った。

なるほど。

では、お尋ねするが、なぜ、800円の賃金の人を賃下げしなければならないのか。たとえば、もっとずっと高い賃金を得ているあなた、およびその同僚、100人の賃金を、それぞれたった24円だけ下げれば、合計で2400円だから、それでも800円×3人の雇用を生むことはできるではないか。

それともあれか。あなたがたは、自分たちの賃金を24円下げるのは嫌だが、800円の最低賃金(強調するが「最低」賃金である)で雇われている(or雇われようとしている)100人の人は、プラス3人の雇用を確保するために自分の賃金を24円ぐらい下げることには易々と同意してくれるであろうと、そう言いたいのか。

雇用を確保するために、誰かが「割を食う」ことが、仮にしかたがないことだとしても、「最低賃金」労働者にその割を食わせることは、とても正しいとは思えない。

「最低賃金」というのは憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に基づいて定められている、厳粛なものである。この定めは、国民を不当な搾取から守るセイフティネットの役割を担っているのであって、軽々にないがしろにして良い性質のものではない。

不当に安い賃金で人を働かせてはならない、という、当たり前のことを制度化したのが「最低賃金制度」である。最低賃金を無くしたほうが雇用が生まれるというのは、最低賃金以下で人を働かせたい人たちのエゴに過ぎない。

雇用を生むには、現在増加しつつある「富の分配の偏り」を是正する必要がある。それはそうだろう。「既得権益」を崩していかなければならない。そうですか。

しかし、「最低賃金」の労働者は、文字通り「最低」の賃金で働いているのであって、かれらは「富の分配」や「既得権益」から最も遠いところにいる人達である。そこを削ろうというのは、いくらなんでも話の筋目が通らない。

最低賃金の撤廃を望む者たちの狙いは、ますます富の偏りを増やし、貧富の差を拡大し、自分たちが低賃金労働者から搾取することである、ということは、内田先生がご指摘になった通りである。

以上、池田信夫氏のブログがあまりに悪質に思えたので、反論を書いておく次第である。

なお、池田氏は同じ文の中で、最低賃金とは無関係な雇用環境がいくらでもあるかのような物言いをしているが、最低賃金が守られていない雇用があるとすれば、それらはすべて、違法である。「委託契約」なら最低賃金は関係ない、みたいに書いているが、それは違う。「委託契約」の場合には、最低賃金を守っていなくても「バレにくい」、と言わなければならない。そういう状態を、さも当たり前であるかのような言い方をするとは、ひどいとは思わないか。

*念のため付け加えておくが、雇用主からの強制力が無いような、自分の意志で自発的に行なう仕事に対する報酬は、最低賃金を下回ることがあってもかまわない。たとえばボランティア活動は違法ではない。

カテゴリー: 社会